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映画用フィルム、テレビ用フィルムの整備

 

戦後、映画需要は増加の一途をたどる。映画産業の隆盛は、1958年(昭和33年)にピークを迎える。その後、テレビの影響などによって、観客動員数は下降に転じ、映画会社は、ワイドスクリーン化、カラー化の方向を目指す。当社は、ワイドスクリーン用の微粒子フィルムを開発するとともに、カラーフィルムの改良に全力を挙げる。まずカラーポジフィルムを、次いでカラーネガフィルムの品質改良を達成、16mmフィルムも開発する。さらに、1968年(昭和43年)から翌年にかけて、輸出適性を持つ映画用カラーポジフィルム・カラーネガフィルムを開発し、世界市場への供給を開始する。この間、テレビ用の各種フィルムを開発し、NHKをはじめ民放各局に納入する。

映画用黒白フィルムの整備

[写真]「映画の日」のポスター 1968年(昭和43年)

「映画の日」のポスター
1968年(昭和43年)

戦後の当社復興の原動力となった映画用フィルムは,映画産業の興隆に伴って需要が増大,当社は,その供給責任を果たしてきた。

映画館数は,1950年(昭和25年)には,ほぼ戦前の水準を回復し,その後も増加を続け,1958年(昭和33年)には7,000館を超えるに至った。この年,1958年(昭和33年)には,映画製作本数も500本を数え,年間映画観客数も11億2,700万人とピークに達した。これは,国民1人当たり毎月ほぼ1回の割合で映画を見ていた計算になる。

この映画の隆盛の中で,1956年(昭和31年)には,この年がわが国で初めて輸入映画が上映されてから60年目に当たることを記念して,映画業界では,12月1日を「映画の日」と定めた。以後,毎年,この日に映画の振興のための各種の催しが行なわれるようになった。

しかし,1958年(昭和33年)をピークとして映画観客数は下降に転じ,1960年代に入るとその傾向が加速,1963年(昭和38年)にはピーク時のほぼ半分にまで減少した。これは,経済の高度成長に伴って,レジャーが多様化してきたことと,テレビの出現とその急速な普及によって,家庭で気軽に映像を楽しめるようになったことに起因するといわれている。

日本でテレビ本放送が開始されたのは,1953年(昭和28年)のことであった。その後,民間テレビ局の開局,テレビ受像機の量産化と価格低下などによって,テレビは急速に普及した。テレビ受像機の普及台数は,1960年(昭和35年)には600万台,そして2年後の1962年(昭和37年)には1,200万台を突破し,翌1963年(昭和38年)には,1,500万台を超えた。

このようなテレビの急速な普及に対抗し,映画会社では,観客の減少を抑えるために,テレビでは望めない迫力ある映像の展開をねらって映写画面の拡大,すなわちワイドスクリーン方式の採用や,カラー作品の増加を進めていった。また,従来の量産主義から大作主義への転換,製作本数の削減,製作部門の分離,人員の削減など,各種の合理化施策も進められ,多くの映画館が姿を消すなど,映画産業は非常に厳しい状態におかれるに至った。

35mm劇映画分野のワイドスクリーン化は,1953年(昭和28年),わが国に初めてシネマスコープ方式の映画作品が輸入公開されたことに始まる。スクリーンの縦横幅比を従来の2倍近くに拡大した大画面による迫力で,観客の話題を呼んだ。それ以降,各種方式のワイドスクリーン映画が輸入され,1957年(昭和32年)には,邦画のワイドスクリーンによる製作も始まり,1960年代に入ると,映画館で上映される劇映画のほとんどがワイドスクリーン映画となった。そのために,映画用フィルムには,より一層画質の向上と音質のレベルアップが求められてきた。

こうした時代の要請に応えて,当社は,磁気録音方式のサウンドレコーディングフィルムの開発を進める一方,1958年(昭和33年)6月には,微粒子ポジフィルムを発売した。翌1959年(昭和34年)3月には,音質向上のため,面積型(写真濃度を黒と白との二段階に限定して,それらの面積比率を変えて音を記録する方式)サウンドフィルムも微粒子化した。この間,撮影用の黒白ネガフィルムの分野でも品種の整備・改良に努め,また,35mmデュープネガフィルム・35mmデュープポジフィルムでも,各種微粒子フィルムを整備した。

映画用カラーフィルムの品質改良

1951年(昭和26年),「カルメン故郷に帰る」で,わが国劇映画のカラー作品製作がスタートしたものの,1950年代半ばまでは,わが国劇映画の製作はほとんど黒白作品で占められていた。その後,内型ネガ・ポジ方式のカラーフィルムの登場によって,1950代後半からカラー作品の製作が増加しはじめ,1962年(昭和37年)からは,カラー作品の数が黒白作品を上回った。

当社は,カラー作品のプリント用として,1955年(昭和30年)に内型方式の映画用カラーポジフィルムを商品化してからも,引き続きシャープネスの向上を図るために品質の改良を重ねてきた。この改良の成果が認められて,当社の35mm映画用カラーポジフィルムの販売量も次第に増加し,1960年代に入ると国内市場の大半を確保するに至った。

しかし,カラーネガフィルム市場では,事情は全く異なっていた。1958年(昭和33年)に発売した“タイプ8512”(露光指数25)が映画製作会社に使用され始めたころ,コダック社は,ニュータイプ品(露光指数50)を開発して日本市場を席巻した。このため,当社は再び出直しを余儀なくされたのである。

当社は,このコダック社の製品に対抗し得る映画用カラーネガフィルムの開発を最重点の課題として懸命に研究を進めた。その結果,1965年(昭和40年)1月に至って,ようやく改良品(タイプ8513)を発売することができた。このタイプは,感度を露光指数50にアップするとともに,前々年に発売した一般用カラーネガフィルム“フジカラーN64”に採用したカラードカプラーを採用し,濁りのない忠実な色再現が期待できるマスク付きフィルムであった。このフィルムを使った第1回作品が松竹映画「雪国」である。

当社は,この“タイプ8513”の完成に満足せず,さらに同年10月,階調や色再現性を改良した“タイプ8514”を完成した。“タイプ8514”に至って,当社品も十分実用しうるものとの評価を得られ,大映作品「ザ・ガードマン 東京用心棒」に使用されたのをはじめ,その後,多くの作品に使用されるようになった。

一方,16mmフィルムの分野でも,カラーネガフィルム・カラーポジフィルムの開発を進めた。

まず,1961年(昭和36年)9月,カラーポジフィルム(タイプ8827)を商品化し,次いで1966年(昭和41年)9月には,感度を上げ,画質向上を図った改良品“タイプ8828”を発売し,本格的に映画用16mmカラーフィルム市場に進出していった。

16mmカラーネガフィルムの発売は,さらに5年遅れ,1971年(昭和46年)4月,長年にわたって待ち望んだ16mmカラーネガフィルム(タイプ8516)が完成した。これは,タングステンタイプで,感度は露光指数100,色再現性,シャープネス,階調など,品質上でも輸入品にそん色なく,この商品化の成功によって,これまで外国製品の独占市場であった映画用16mmカラーネガフィルムの分野に進出することができた。

映画用カラーフィルムの輸出適性化

[写真]フジカラーポジティブフィルム(タイプ8819)(レーベル)

フジカラーポジティブフィルム
(タイプ8819)(レーベル)

[写真]フジカラーポジティブフィルム(タイプ8516)(レーベル)

フジカラーポジティブフィルム
(タイプ8516)(レーベル)

映画用カラーフィルムの品質改良を達成した当社は,次の目標,すなわち世界市場への進出を目指して研究開発を進めていった。

世界市場へ参入するために求められる輸出適性とは何か。それは他のアマチュア用カラーフィルムの場合と同様に,世界中どこでもフィルムの現像処理が可能なこと,つまり,コダック社の製品と同一現像処理ができる製品であることを必要とした。

映画用カラーフィルムの輸出適性を最初に実現したのは,カラーポジフィルムであった。1968年(昭和43年)3月,16mmカラーポジフィルム(タイプ8829)を,同年9月には35mmカラーポジフィルム(タイプ8819)を発売した。これらの製品は,感度も高く,階調・色再現性・退色性も改良したもので,このタイプの商品化によって映画用35mmカラーポジフィルムの輸出は急速に増加した。

映画用35mmカラーネガフィルムの輸出適性品(タイプ8515)は,翌1969年(昭和44年)11月に完成した。これは,感度が露光指数100で,セット撮影や夜間撮影も容易になり,粒状性や色再現性も向上した。映画関係者から高く評価され,国内市場で大映作品「眠狂四郎卍斬り」をはじめ多数の作品に使用されたが,海外市場に対する輸出もこのタイプから開始された。

引き続いて,1972年(昭和47年)2月には,35mmカラーネガフィルム改良品(タイプ8516)を発売した。この改良品によって当社の映画用カラーネガフィルムは世界水準の品質を達成した。そして,従来から使用されている劇映画の分野をはじめ,新たに,PR映画や教育文化映画にも広く使用されるようになった

テレビ用フィルムの開発

[写真]フジカラーリバーサル TVフィルムRT100(タイプ8424)(レーベル)

フジカラーリバーサル
TVフィルムRT100
(タイプ8424)(レーベル)

1953年(昭和28年)に初めてテレビ放送が開始されたころは,すべて黒白テレビで,ニュースやドキュメンタリーの製作には,映画用16mm黒白フィルムが多く使用されていた。ネガフィルムで撮影し,ポジフィルムにプリントするネガ・ポジ方式であったが,テレビニュースは取材から放送まで一刻を争うために,迅速な現像処理が要求されていた。

そこで当社は,現像時間の短縮をテーマにしたフィルムの開発を進め,1959年(昭和34年)7月,テレビニュース撮影用として16mmネガフィルム“RP”を完成した。これは,昼光で露光指数80,タングステン光で露光指数64の感度をもち,NHKをはじめ民間放送各局で広く採用された。

また,1964年(昭和39年)7月には,同時録音用として,16mmのネガフィルムやポジフィルムに,撮影と同時に音を収録するマグネオストライプ付きフィルムを発売した。

一方,1960年(昭和35年)9月からカラーテレビ放送も始まり,1960年代後半に入ると,カラーテレビはめざましく普及していった。

カラーテレビの普及に伴い,ニュースの放映もカラー画像で行なわれるようになり,当社は,カラーテレビニュース用として,16mm“フジカラーリバーサルTVフィルムRT100”(タイプ8424)を開発し,1968年(昭和43年)5月に発売した。露光指数100の感度をもち,タングステンタイプで,カラーテレビに適合したカラーバランスをもたせた製品であった。翌1969年(昭和44年)6月には,この16mmフィルムにマグネオストライプを付けたカラーリバーサルフィルムを発売するなど,テレビ用の各種フィルムの整備を進めていった。

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