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マイクロ写真の普及

 

マイクロ写真は、戦後、日本にもたらされ、図書館や大学、新聞社、あるいは銀行、証券会社などで急速に普及していく。当社は、いち早く、1951年(昭和26年)、“ミニコピーフィルム”を開発する。一方、マイクロ写真関係機器の開発を進めるため、東京マイクロ写真株式会社(現富士マイクログラフィックス株式会社)に資本参加し、撮影用カメラや復元用リーダープリンターを商品化し、機器および材料の総合供給体制を整える。その後、マイクロフィルムの品種の整備を図り、海外への出荷も開始する。また、マイクロ写真を活用するシステムの開発を進め、焼失戸籍の副本再製、官公庁文書のマイクロ化、納税申告事務への採用、図面検索システムなど、活用範囲を広げていく。

マイクロ写真の胎動とマイクロフィルムの開発

マイクロ写真とは,書籍・文書などに記録されている情報をマイクロフィルムに縮小複写し,その像を見るときには,なんらかの光学的拡大装置を用いて,スクリーンに拡大させて使用するもので,さらにその像を紙などに複写する手段としても使われる。マイクロ写真が本格的に実用化されたのは,1920年代の終わりごろ,アメリカの銀行で小切手をマイクロフィルムに縮小複写して,証拠用に記録保存されたことに始まる。

わが国でマイクロ写真が取り上げられたのは戦後のことで,学術関係者によって,海外の学術文献を活用するためにマイクロ写真化とその利用に関する研究が行なわれたことに始まった。

当初は,米国議会図書館からマイクロ写真撮影用カメラを借用して,文献のマイクロ写真化が行なわれていた。その後,国立国会図書館にマイクロ写真委員会が設置され,あるいは,国産のマイクロリーダーやマイクロカメラの試作が進められるなど,わが国のマイクロ写真は徐々にその歩みを始めた。

[写真]ミニコピーフィルム

ミニコピーフィルム

このように,マイクロ写真の活用の動きが始まったことに対応して,当社は,マイクロフィルムの国産化を企図し,1951年(昭和26年)10月,超微粒子で解像力の優れた国産初のマイクロ写真専用フィルムを開発,“ミニコピーフィルム”の商品名で発売した。わが国初のマイクロ写真専用のフィルムの開発は,その後のわが国のマイクロ写真の発展に大きく貢献したという意味で,日本のマイクロ写真史上,特筆すべきことであった。

翌1952年(昭和27年),米国のロックフェラー財団は,国立国会図書館にマイクロ写真の設備一式を寄贈することとなった。当社は,米国の議会図書館におけるマイクロ写真の利用状況を調査し,国立国会図書館においてマイクロ写真を活用するシステムを確立することに協力した。

ちょうどそのころ,国立国会図書館で計画していた「PBレポート」のマイクロ写真の輸入問題が話題となったが,このことは,マイクロ写真に対する世の中の認識を深めることに大いに役立った。

1951年(昭和26年)から翌年にかけて,読売新聞社では,創刊号からの新聞をマイクロ写真化し,保管スペースの縮小と保存の安全を図った。これが,新聞のマイクロ写真化のはしりとなり,その後,国立国会図書館や他の新聞社でも新聞のマイクロ写真化が進んでいった。

1953年(昭和28年),法務省当局によって,戦災によって焼失した戸籍および除籍の副本再製をマイクロフィルムとすることが認められた。これが契機となって,戸籍台帳や除籍簿の副本再製作でのマイクロ写真化が始まり,その後,次第に戸籍事務でのマイクロ写真の利用範囲が広まっていった。

このころ,証券業界では株式取引の増加によって事務量が増大し,その合理化策が検討されていた。その一環として,有価証券の銘柄番号などを台帳に記入する人手を要する転記業務の分野で,マイクロ写真を活用した事務処理システムが導入されていった。このシステムの導入によって,誤記の防止に役立ったことはもちろん,作業速度は比較にならないほど速くなり,人手,スペース,経費の大幅な節減が実現された。

このように,マイクロ写真が各分野で活用され,導入され始めたことに伴って,当社は,マイクロ写真の市場をさらに広げるために,1956年(昭和31年)1月,複製用のマイクロポジフィルムとして“ミニポジフィルム”を発売した。

マイクロ写真機材への進出

[写真]ミニコピーカメラD2

ミニコピーカメラD2

[写真]ミニコピーリーダープリンターQ4

ミニコピーリーダープリンターQ4

[写真]フジグラフペーパーCPC(レーベル)

フジグラフペーパーCPC(レーベル)

[写真]フジグラフペーパーCPD(レーベル)

フジグラフペーパーCPD(レーベル)

マイクロ写真の普及に伴って,需要をさらに拡大するために,また,当社がマイクロ写真市場でさらに地歩を進めるためにも,単にマイクロフィルムを供給するだけでなく,マイクロ写真機器を含めてマイクロ写真を活用するシステムを開発することが課題となってきた。そのためには,当社は,自らマイクロ写真機器の商品化を進めることが必要であると考え,1960年(昭和35年)12月,東京マイクロ写真株式会社(現富士マイクログラフィックス株式会社)と業務提携契約を締結,翌1961年(昭和36年)2月には,同社の増資の機会に資本参加した。

同社は,1954年(昭和29年)3月に設立され,日本におけるマイクロ写真機器国産化の開拓者の道を歩んできたが,これからは,当社のマイクロ写真機器の開発・生産部門として,当社のマイクロ写真事業に大きな役割を担うこととなった。

マイクロ写真機器の商品化は,まず撮影用カメラから始まった。1961年(昭和36年)から1962年(昭和37年)にかけて,小切手,証券,帳票類の撮影用としての卓上型カメラ“ミニコピーカメラD1”,同“D2”と,大型図面を含むあらゆる被写体に対応できる平床式カメラ“ミニコピーカメラL”,同“M”,同“S”を発売した。

また,マイクロフィルムからの復元機器として,1963年(昭和38年)には,“ミニコピーリーダープリンターQ4”と,引伸機“ミニコピーエンラージャーS”を,1968年(昭和43年)には,同“S2”を,それぞれ発売した。リーダープリンター用ペーパーはクイックシステムを採り入れ,迅速処理でコピーを作ることができた。

マイクロフィルムからの複写用ぺーパーとしては,1953年(昭和28年)3月に,複写用引伸印画紙“フジグラフペーパーCPC”,同“CPD”を発売した。さらに,1961年(昭和36年)3月,極薄手の“フジグラフペーパーCPE”を,1966年(昭和41年)4月には,透明紙“フジグラフペーパーCPT”を,それぞれ発売した。

また,自動車,造船,測量など,図面複写用のニーズに応えて,1960年(昭和35年)9月に複写用引伸フィルム“フジグラフプロジェクションフィルム”を,1962年(昭和37年)2月に図面原稿から密着焼付けして直接ポジフィルムをつくる“フジグラフオートポジフィルム”を,同年5月には透明紙“フジグラフオートポジペーパーAPT”などを,それぞれ発売した。図面資料の分野における高解像力,高画質化の要求に対して,新たに,ハレーション防止技術の開発を図り,1966年(昭和41年)6月,“ミニコピーフィルムHR”を市場に送り出した。

1960年代後半に入ると,マイクロフィルム市場は証券や図面にとどまらず,一般文書の保管・検索の方面へと広がっていった。1967年(昭和42年)4月には,“ミニコピーアパーチュアカード”を,翌5月には,“ミニコピーフィッシュフィルム”を発売した。マイクロ写真機器関係では,1968年(昭和43年)4月,“ミニコピーフィッシュカメラプロセサーS105B”を開発して,オフィス市場向けのマイクロ写真関連製品の整備を図った。“ミニコピーカメラプロセサーS105B”は,国内市場だけでなく,海外市場にも輸出され,高く評価された。

海外市場へのマイクロフィルムの輸出は,1964年(昭和39年),マイクロポジフィルムのシャープネスを向上させた改良品を北米市場へ出荷したことに始まる。翌1965年(昭和40年)4月には,高感度タイプの“フジマイクロフィルムネガティブHS”を商品化し,海外市場向けに出荷した。これは,金融機関や証券会社で,輪転カメラ(ロータリーカメラ)で高速撮影するために高感度フィルムが求められていたのに応えたもので,当社の輸出の拡大に大きく貢献した。

[写真]ミニコピーフィルムHR

ミニコピーフィルムHR

[写真]ミニコピーフィッシュフィルム

ミニコピーフィッシュフィルム

[写真]ミニコピーフィッシュカメラプロセサーS105B

ミニコピーフィッシュカメラプロセサーS105B

国際マイクロ写真大会への参加

[写真]第1回国際マイクロ写真大会

第1回国際マイクロ写真大会

マイクロ写真の普及に伴って,1958年(昭和33年)10月には,日本マイクロ写真協会(JMA)が設立され,1963年(昭和38年)11月には「第1回マイクロ写真ショー」が開催された。

また,1965年(昭和40年)11月17日からの3日間,世界マイクロ写真史上特筆すべき「第1回国際マイクロ写真大会」が東京で開催された。主催は,国際マイクロ写真会議(IMC)と日本マイクロ写真協会で,スローガンは“Make the world smaller through microfilm”(マイクロフィルムによって世界を小さくしよう)だった。会場になった東京赤坂のホテルには,世界各地から専門家が集まり,講演会や研究発表,各種機材の展示,親善パーティーなど多彩な催しが繰り広げられた。

当社は,この大会に積極的に参加し,新製品の展示や技術者の講演,研究発表を行ない,来場者の大きな注目を集めた。

マイクロ写真システムの発展

[写真]SIRシステムの説明(カタログから)

SIRシステムの説明(カタログから)

[写真]マイクロ写真の作成

マイクロ写真の作成

[写真]東京大学のマイクロフィルムの復元作業

東京大学のマイクロフィルムの復元作業

マイクロ写真機器を開発してきた当社は,1965年(昭和40年)から1966年(昭和41年)にかけて,当時の営業第二部にマイクロ推進グループを結成し,マイクロ写真システムの用途開発・活用化を進めていった。

文書管理の分野では,官公庁の文書管理にマイクロ写真システムを導入することに取り組んだ。当時,横浜市役所では,文書保管スペースの縮小,文書管理事務の省力化を検討していたが,当社はこれに協力し,マイクロ写真システムが導入された。横浜市の文書のマイクロ写真化は,官公庁のモデルケースとなり,他の市町村においても普及していった。

アプリケーションの一つとして,1967年(昭和42年)には,申告納税事務にマイクロ写真システムが採用され,申告手続きの簡素化が図られた。

図面市場では,検索システムを中心とした研究会が行なわれ,日本能率協会の協力を得て,SIR(Stratified Indexing and Retrieval)システムが完成した。このシステムは,図面検索用多角的インデックスをコンピューターで作成し,図面そのものをアパーチュアカードにしてコンパクトにファイリングするシステムで,設計業務の能率化に大きく貢献した。

SIRシステムを推進するために,当社は,システム導入の事例を10社例,50社例と構築し,その50社例のアプリケーションを基礎に「マイクロ写真教室」を開催し,普及を図っていった。

1969年(昭和44年),当社の本社ビル建設に伴って,一般文書のマイクロ写真化をフィッシュフォーマットで行なったのを機に,図面市場・オフィス市場に対し全面的に「オフィスクリーン作戦」を展開し,各企業へのマイクロ写真システムの導入と普及を図った。

この当時,社会への貢献の一つの出来事があった。1968年(昭和43年)から1969年(昭和44年)にかけて,学園紛争が大きな社会問題となったが,この時,東京大学で保管していたマイクロフィルムがケースから引き出され,大きな損傷を受けた。マイクロフィルムには貴重な資料が記録されており,大学当局から当社に対し復元に協力の依頼があった。フィルムの損傷は大きく,10万mに近いフィルムを1コマずつ点検しながら復元処理をしなければならず,作業は困難を極めたが,当社技術陣の総力をあげた作業によって,ほぼ完全な復元に成功した。

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