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アマチュアカラー写真市場の拡大

 

カラーフィルムの輸入自由化と関税率の引き下げ、ニクソンショックという日本経済の環境条件の激変の中で、写真業界の販売競争はますます激化していく。当社は、写真感光材料のトップメーカーとして、写真の総需要の拡大に努めるとともに、販売体制を整備し、シェアアップ作戦を展開する。その一環として、ヤング市場の開拓を目指し、“Have a Nice Day”キャンペーンをはじめ、各種キャンペーンを展開し、札幌オリンピック、沖縄海洋博に際しても、積極的な活動を展開する。また、「富士マーケティングスクール(FMS)」を開設し、販売店との結びつきを強める。この間、広告宣伝活動も活発に展開する。

アマチュア写真市場の変化と販売体制の整備

1970年代に入ると,カラー写真は黒白写真に代わってアマチュア写真の主座を占めるようになり,写真といえばカラー写真を指すようになってきた。写真撮影の中でカラー写真の占める比率は,1965年(昭和40年)には10%前後にすぎなかったものが,1970年(昭和45年)には40%を超え,1970年代の半ばには80%近くにまで達した。カメラの世帯普及率も,1965年(昭和40年)に約50%(すなわち2世帯に1台)であったのが,1968年(昭和43年)には60%に,1973年(昭和48年)には70%を超えた。写真人口も増加し,1人で数台のカメラを保有するアマチュアカメラマンも多くなり,写真の撮影の機会も増加した。カラー写真の増加とカメラ普及率の上昇によって,アマチュア写真市場は大きく拡大した。

しかし,このように写真需要が増加し続ける中で,カラーフィルムの輸入自由化を迎え,販売競争はますます激化していった。

アマチュア写真の普及とフィルム需要層の拡大に伴い,フィルムは最寄品化し,写真材料専門店だけではなく,スーパーマーケットやコンビニエンスストア,観光地・遊園地・駅の売店などでも売られるようになった。また,カラー写真のDPEの取次窓口も,薬局,タバコ店,クリーニング店,文具店などと広がっていった。カメラが使いやすくなり,フィルムの品質も向上し,写真はますます身近なものとなった。

しかしながら,1973年(昭和48年),オイルショックの発生は日本経済に大きな影響を与えたが,写真業界もその影響を免れることができなかった。それまで順調に拡大してきた写真市場にも,ようやく成長鈍化の傾向が現われてきたのである。

このような情勢の中で,当社は需要の拡大と市場の確保を目指して,アマチュア用感光材料やカメラなどについて地域に密着したよりきめの細かい営業活動を展開するため,1974年(昭和49年)7月,新たに新潟・静岡・金沢・高松に営業所(後に事務所と改称)を開設した。なお,静岡営業所については,その後,経済環境の変化や交通事情の発達によって,静岡地区と首都圏・中部圏との接近が著しくなり,営業所を常設しなくても所期の目的を達成し得るようになったので,1979年(昭和54年)10月,カメラのサービスステーションを残して閉鎖した。

市場開拓のキャンペーン

当社は,1968年(昭和43年)春から,主として女性を対象として「ファミリーフォトキャンペーン」を実施し大きな成果を収めてきたが,ママさん市場に次いで,写真の総需要拡大のための新しいターゲットとして登場したのが15歳から20代前半ぐらいまでのヤング層の市場であった。この層は総数で2,000万人を超え,総人口の20%を占めており,当社は,この若者たちの間に新しい写真需要をつくり出すべく,一大キャンペーンを展開した。

[写真]『HAVE A NICE DAY』 吉田拓郎 作詞作曲

『HAVE A NICE DAY』 吉田拓郎 作詞作曲

このキャンペーンは,統一テーマを“Have A Nice Day”とし,さらに「気ままに写そう この日この時」というサブフレーズをつけて若者たちに写真の楽しさと大切さを訴えるもので,1972年(昭和47年)春からスタートした。

キャンペーンは,まず,テレビ・新聞・雑誌による告知キャンペーンから始まり,各地の写真材料販売店の店頭でも,店頭宣伝物などで,このキャンペーンを盛り上げた。

吉田拓郎氏作詞・作曲によるCMソングは,たちまち話題の的になり若者たちに強い印象を与えた。

ヤング層が,楽しく遊びながら写真を撮る場として,従来の撮影会とは異なった「フジカラーヤングフェスティバル」を企画し,全国各地を縦断して開催した。どこの会場も若者たちの熱気であふれ,盛況を極めた。

Have A Nice Dayキャンペーンと並行して,旅行写真の拡大も図った。

写真撮影のチャンスは,日常生活,身の回りの至るところにあるが,なかでも旅行はシャッターチャンスが増加する絶好の機会である。国内旅行はもちろん,海外旅行の増加につれ,旅行の写真は写真市場でも最も大きな部分を占めるようになってきた。当社は,1973年(昭和48年)“フジカラー想い出パッケージ”をつくり,“フジカラーN100”の小箱の一面に各観光地にちなんだカラー写真を印刷して,それぞれの観光地で販売した。

この間,1972年(昭和47年)2月に開かれた第11回冬季オリンピック札幌大会,1975年(昭和50年)7月から開催された沖縄国際海洋博覧会のビッグプロジェクトに際しても,写真需要の拡大のための絶好の機会として積極的な販売活動を展開した。

[写真]第11回冬季オリンピック札幌大会 1972年(昭和47年)2月

第11回冬季オリンピック札幌大会
1972年(昭和47年)2月

[写真]フジカラー想い出パッケージ群

フジカラー想い出パッケージ群

[写真]沖縄国際海洋博覧会

沖縄国際海洋博覧会

札幌オリンピックでは,これに先立って開かれた雪まつりと合わせ,各会場に地元の写真材料販売店が設けたフィルム売店に協力して販売促進に努めた結果,当社のグリーンボックスのフィルムが圧倒的なシェアを獲得し,内外に当社のイメージを高揚した。また,大会期間中に大会組織委員会が主催して開催された写真展では,すべて当社のGカラーが用いられた。このほか,当社は,フジクイックインダストリアルペーパーを使用して,外国の報道機関向けに電送用写真のクイックサービスを行なって協力したが,これらの努力が認められて,大会終了後,オリンピック組織委員会から感謝状が贈られた。

沖縄国際海洋博覧会では,三井グループの「三井こども科学館」に出展した。また,プレス用のカラーフィルムや黒白フィルム,印画紙および8mm映画用機材もすべて当社製品が採用された。

当社は,6か月に及んだ会期中,沖縄県で販売する“フジカラーネガフィルム”の小箱には,海洋博のシンボルマークと沖縄にちなんだ図柄を採用し,“想い出パッケージ”として販売した。また,この年は“フジカシングル-8”の発売10周年にも当たるので,その記念行事の意味も含めて「さくら丸」をチャーターして「沖縄海洋博8ミリツアー」を実施した。

沖縄国際海洋博は,1976年(昭和51年)1月18日,その幕を閉じたが,当社の海洋博への協力が認められて沖縄国際海洋博覧会協会から感謝状が贈られた。

また,写真需要喚起策の一つとして,当社は,1959年(昭和34年)12月から,はがき大の黒白印画紙を“富士ポストカード”の商品名で販売してきたが,カラー写真の普及に伴ってカラー写真のポストカードを望む声が強くなってきた。そこで当社は,ポストカード用のカラーぺーパーをカラーラボに供給し,1978年(昭和53年)11月,全国の主要なフジカラーラボで“フジカラーポストカード”のプリントサービスを開始した。これは,手持ちのカラー写真のネガフィルムを写真材料販売店に持ち込めば,年賀・クリスマス・暑中見舞・結婚・誕生などのイラストカットやあいさつの言葉を組み合わせてプリントし,そのまま郵便はがきとして使えるもので,年賀状や暑中見舞用などのほか,企業PRなどにも利用されている。

富士マーケティングスクール(FMS)の開設

1970年代の半ばになって,写真需要に伸び悩みの傾向が現われる一方で,他業界との競争も加わり,あるいは他業種からの写真市場参入もあり,アマチュア用フィルムをはじめとする写真材料の販売窓口も多様化し,市場での販売競争がますます激しくなってきた。これに伴って,販売店の店頭での販売価格競争もますますエスカレートしてきた。このような競争の激化は,結果として販売店の売り上げ伸び率の鈍化と粗利の低下を招いた。販売店の間からは,何とかしてこのような状況から脱却したいとの動きも生じてきた。すなわち,専門店としてユーザーに対する新しい魅力ある店づくりを目指す方向であった。

このような新しい方向を販売店と一緒に考え,新たな角度から経営を点検し,さらに創意と工夫を盛り込み,将来の経営改善に役立てていただくことを目的として,当社は,1978年(昭和53年)9月,「富士マーケティングスクール(FMS)」を発足させた。

FMSでは,販売店の参加者を経営者から一般社員まで各層別にコース分けするとともに,1回の参加者数も30名前後に絞り,一店ごとに問題点とその改善方向を徹底して考えるという全く新しい方式を採用した。すなわち,一方的に講義するというのではなく,お互いに問題を出し合い,どうすればよいかを共に学ぶ“Co-Study”という考え方でスタートしたのである。

[写真]富士マーケティングスクール(FMS)の研究会

富士マーケティングスクール
(FMS)の研究会

FMSの中心となったのは,経営者を対象とする小売店経営研究会であった。この研究会は当社が独自に開発した「自店分析システム」を中心に進められた。「自店分析システム」とは,40項目からなる当該店に対するユーザーアンケートを中心に,その店のもっている集客要因の強弱を分析し,グループ協議の場で徹底的に相互啓発し合い,改善すべき点の発見と同時に,伸ばすべき特長を明らかにし,そこから顧客にとって魅力ある店づくりの方向を探り出す方法である。

FMS参加後,店がより活性化され,売り上げが伸び,収益が改善されたという事例が数多く報告された。また,参加者同士の交流も深まり,お互いに研さんし合うなど,FMSは,販売店と当社,あるいは販売店同士をつなぐ場としても大きな効果をあげていった。

FMSは販売店の販売力向上を目指すだけでなく,ユーザーの動向を肌で感じている販売店と当社が,共に考え,共に育ち,市場の拡大を図っていくことにも大きな意義がある。

「フジカラー友の会」発足

[写真]「フジカラー友の会」の加盟店を示すスタンド

「フジカラー友の会」の
加盟店を示すスタンド

1971年(昭和46年),九州地区でフジカラーラボを母体として「フジカラー友の会」が発足した。フジカラー友の会は,「心と心のふれあい」,「Happy Family FUJICOLOR」を合言葉に,ラボを事務局として各加盟店の顧客を会員とするフジカラー愛好者の会で,フジカラープリントを通じて顧客と写真材料店との結びつきを強め,写真需要の拡大とフジカラーファンづくりを目的としたものであった。

このフジカラー友の会は大好評で,その後全国に広がっていった。そして,1984年(昭和59年)8月末には,加盟店は1万1,000店を超え,その会員数も400万人を数える大組織に発展した。

広告・宣伝活動の展開

カラーフィルム,カメラ,シングル-8,磁気記録テープなど,当社のメイン商品は,最終消費財であるため,商品イメージがユーザーの購入動機に大きく影響する。このため,当社はテレビのCMやポスターに著名タレントを起用して商品のイメージアップを図るなど,積極的な広告・宣伝活動を展開してきた。

1974年(昭和49年)秋に発売した“フジカラーF-II”の宣伝に当たっては「くっきり・すっきり フジカラーF-II」のキャッチフレーズのもと,全国各地の写真材料販売店の店頭で活発なキャンペーンを展開した。また,年末年始に放映した「お正月を写そう,フジカラーで写そう」のテレビコマーシャルが人気を博した。

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