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コンパクトカメラの伸長と35mm一眼レフヘの進出

 

35mmレンズシャッターカメラと“シングル-8”システムの2本の柱に次いで、プロ用中判カメラも商品化して、総合カメラメーカーとしての戦略を展開してきた当社は、1970年代に入り、35mmレンズシャッターカメラについては、時代の要請に対応したコンパクト化をさらに進めるとともに、撮影日付の写し込み、ストロボ内蔵、自動焦点化などの高機能化を図る。また、新たに一眼レフカメラ分野に参入し、ボディーの小型軽量化と新しい測光方式を確立したTTL一眼レフカメラ“STシリーズ”を発売する。次いで、生活防水機能を有するヘビーデューティカメラ“HDシリーズ”や110カメラ“ポケットフジカ”も発売し、総合カメラメーカーとしての独自の基盤と販売態勢を築いていく。

自動化進むコンパクトシリーズ

1970年代,本格的なカラー写真時代を迎えて,当社は写真人口の増大,とりわけ女性層やヤング層を対象として写真の普及を図るために,小型軽量で,だれでもどこでもよく撮れるコンパクトカメラの開発を重点的に推進した。

まず,1971年(昭和46年)4月,シカゴで開かれたPHOTO EXPOにおいて“フジカ35FS”を発表し,同年9月,国内・輸出向けに同時発売した。同機は,ストロボ撮影の場合に撮影距離によって絞りが自動的に調節できるフラッシュオートマチック機構を備えた軽量でコンパクトなEEカメラであった。また,同時に専用ストロボ“フジカストロボS”も発売し,だれでも気軽に室内や夜間のストロボ撮影を楽しむことができるようにした。

[写真]フジカGE

フジカGE

さらに,使いやすさと撮影ミスの減少を図って,翌1972年(昭和47年)から35mmコンパクトカメラ“Gシリーズ”を発売した。まず,同年7月,フィルム送り確認やストロボ準備確認の機能を付加した“フジカGP”を発売,次いで翌1973年(昭和48年)6月には,当社として初の電子シャッターを採用し,4秒から800分の1秒まで完全連動するプログラムシャッター式EEカメラ“フジカGE”とこれに二重像合致式のレンジファインダーとセルフタイマー機能を付加した“フジカGER”を発売した。そして,両機とも電池が消耗するとシャッターが自動的にロックする独自の安全装置など,自動化を進めるとともに,カメラの裏に窓をつけてカメラ内のフィルムの在否とその種類を読み取ることができるようにし,機種の充実を図った。

カメラのEE化と機能の高度化に次いで,当社は写真のもつ記録性という原点に立って,撮影年月日の写し込み機構の組み込みとストロボ機構の内蔵化の開発を進めた。

まず,撮影年月日の写し込みができるデート機構を開発し,1975年(昭和50年)11月に,ファインダー上部にこのデート機構を組み込んだ“フジカデート”を発売した。

次いで,夜間や暗い室内でも手軽にきれいな写真撮影が楽しめるように,ストロボをカメラに内蔵すべく,超小型で信頼性の高いストロボの開発に着手した。

そして,世界初の高感度カラーネガフィルム“フジカラーF-II400”の発売に合わせて,1976年(昭和51年)9月,“フラッシュフジカ”および“フラッシュフジカデート”の2機種を,まず海外市場向けに発売し,次いで11月から国内にも発売した。両機はストロボをカメラに内蔵するとともに,ASA400の感度も自動的に感応するフィルム感度オートセットシステムを付加し,ユーザーが使用目的によって“F-II”と“F-II400”を使い分けられるようにした。

[写真]フラッシュフジカAFデート

フラッシュフジカAFデート

その後,1978年(昭和53年)11月にはストロボ内蔵をべースに,フォーカスメモリー(シャッター半押しでピントを合わせるとメモリーが働き,あとは自由な構図でシャッターが切れる),ビームセンサー(フラッシュ撮影で暗い所の被写体を照射し,オートフォーカスを正確に作動させる),そしてデート機構を付加したAF(自動焦点)カメラ“フラッシュフジカAFデート”と,翌月にはデート機構を除いた“フラッシュフジカAF”を発売した。

特に,ビームセンサーは被写体の照射が目に見えるため,オートフォーカス機能の信頼感を高めるものとして好評であった。

また輸出用としては,このほかにストロボ内蔵の普及機“フラッシュフジカS”を発売したが,これら一連のストロボ内蔵機は,発売後,内外の市場で好評をもって迎えられ,当社コンパクトカメラの評価を高めた。

ヘビーデューティカメラ“HD-1フジカ”の発売

写真撮影は室内や庭先など穏やかな条件下ばかりとは限らない。人間の社会生活活動の場も広がり,また,海水浴,スキー,登山などのレジャーの場においても,風雨や砂じんの中での過酷な条件下で撮影される機会も多くなり,これらの悪条件にも耐えられる丈夫なカメラのニーズが高まってきた。当社は,これを日常生活における防水機能としてとらえ,機械強度が高く,雨や波しぶきに耐え,防水・防砂,耐腐食性をもった35mmカメラの開発を進め,1979年(昭和54年)6月,“HD-1フジカ”として発売した。

“HD-1フジカ”はボディーに強化ポリカーボネートを使用して機械強度を高め,特殊合成ゴムによるパッキングや防水リングの使用で防水性を保持し,レンズは前面保護ガラス内に収納して,防砂・防じん性を保った全天候型35mmカメラである。1979年(昭和54年)6月の国内発売に続いて,同年9月からは海外向けにも発売した。

[写真]HD-Sフジカ

HD-Sフジカ

これに伴い,ストロボも外装には全て耐食材を使用して,海水をかぶってもさびず,また,ぬれても感電しない“HD-1ストロボ”を発売,1979年(昭和54年)12月には,“HD-1”にストロボとセルフタイマーを内蔵させた“HD-Sフジカ”を追加発売した。

“HD-1フジカ”,“HD-Sフジカ”は,従来は困難であった悪条件下での撮影を可能にし,ヤング層からプロカメラマン,さらに各種作業現場に至るまで幅広い分野で活用されている。

EBCフジノンレンズの開発

[写真]EBCフジノンレンズ群

EBCフジノンレンズ群

フジノンレンズは,カメラその他の光学機器製品に使用されてきたが,さらにスタジオ撮影やコマーシャルフォトなどプロ用大判レンズとして販売され,その品質が評価されてきた。

これらプロ用写真は,肖像写真のほかポスターやカタログ,グラビアなどの印刷製版用として質の高い画質が要求されるため,撮影用レンズでは高次の色収差の補正のほか,レンズに入る光の反射ロスを減少するため,多くの研究がなされてきた。当社はレンズの透過光量を大幅に増加改良するために,レンズ表面の反射防止膜のコーティングに最適な物質と,それを電子ビームコーティングする多層膜蒸着技術を開発し,11層という多層コーティングに成功した。そして,このコーティング処理のレンズを他のレンズと区別して“EBCフジノン”(EBCは,Electron Beam Coatingの略)と名付けて発売した。

これによって,従来,コーティングしていないレンズではもちろん,単層コート品でも表面反射によって1%の壁を破れなかった光の損失が,0.2%以下に減少して大幅な色再現性の改良に成功した。

“EBCフジノン”は,1971年(昭和46年)12月発売の8mmカメラ“フジカシングル-8Z800”の8倍ズームレンズで初めて採用したが,翌1972年(昭和47年)9月には,一眼レフカメラ“フジカST801”用の交換レンズとして発売した。さらに1973年(昭和48年)11月には,中判カメラ用EBCフジノンレンズを開発し,次いで1974年(昭和49年)9月には,プロ用大判レンズとして各種大口径のEBCフジノンレンズを発売し,厳しいプロ写真家の要望に応えるとともに高い評価を得てきている。

待望の一眼レフカメラ“フジカST701”の発売

35mmコンパクトカメラが,初心者から一般アマチュア層に愛用されてきたのに対し,TTL式フォーカルプレーン一眼レフカメラは,高級機として当初はプロカメラマンをはじめ一部のアドバンスドアマチュアの間で愛用されていた。その後,一眼レフカメラは,クイックリターンミラー(レンズとフィルム面の中間にあって,シャッターを切れば,はね上がってフィルム面に画像を送り,シャッターが切れた後は,直ちに復元してファインダーに画像を送るミラー)が開発されて,正確な被写体描写ができるようになり,また各種交換レンズを使用して高度な撮影技術が楽しめるところから,次第に一般アマチュア層へも普及していった。

当社は,戦後,カメラ事業に進出して以来,カメラ市場に独自の地歩を固めてきたが,カメラ事業をさらに発展させ,併せて輸出の拡大を図るためにも,35mm一眼レフ市場への参入は不可欠の重要課題であった。したがって,かねてからその研究開発に取り組んでいたが,開発に当たっては,これまで進めてきたカメラのコンパクト化の考え方を一眼レフの分野にも取り入れるべくチャレンジしてきた。

そして,1970年(昭和45年)7月,待望のフォーカルプレーン一眼レフカメラ“フジカST701”を国内用・輸出用に同時発売した。

[写真]フジカST701,ST801,ST901

フジカST701,ST801,ST901

“ST701”は,分光感度のより優れたシリコン受光素子をいち早く採り入れた露出計,明るく見やすいファインダーの開発,そのほか当社独自の新技術をコンパクトなボディーに内蔵したTTL絞り込み測光式の小型軽量一眼レフカメラで,その後の各社の一眼レフカメラの小型化傾向への先駆けとなった。交換レンズには,広角レンズF2.8 35mm,標準レンズF1.8 55mm,同F1.4 50mm,望遠レンズF3.5 135mmの4種のレンズを整備した。次いで,翌1971年(昭和46年),28mmの広角から200mmの望遠まで,7本の交換レンズをシリーズ化し一眼レフ市場への対応を図った。

“ST701”は,レンズの優秀性に加えて,ボディーのコンパクトなことも好評で,出荷も順調に推移し内外市場におけるフジカブランドの信頼を高めた。

その後,同機をべースとして性能アップとシステムの充実を主眼として新機種の開発を進め,1972年(昭和47年)9月には“フジカST801”を内外同時に発売した。同機は,露出計をTTL開放測光(レンズの絞りを開放にしたままで測光する)にするとともに,露光調節はシリコン受光素子を使用し,ファインダー内の表示は世界で初めてLED(発光ダイオード)による7点露光表示方式(シャッターを軽く押すとスイッチオンして,ファインダー内の7個のLEDのうちいずれかが発光する方式で,これによって,露光状態を正確に読み取ることができる。)を組み込んだ画期的な精密測定システムであった。また,シャッターは瞬間をキャッチする2000分の1秒の高速まで備え,レンズは当社開発の“EBCフジノン”を装備したコンパクトな一眼レフカメラであった。

同時に,交換レンズは,超望遠用・望遠用・標準用のほか,広角用・ズーム用の各レンズ計14種を整備し,システムの充実を図った。

これによって“ST801”は当社一眼レフの主力機となり,輸出はもろん,国内市場にも急速に伸びていった。

その後,1974年(昭和49年)4月には,“フジカST901”を追加,内外市場に同時発売した。“ST901”は絞り優先カメラであるが,そのほかに,ファインダー内の表示をデジタル化してシャッター速度を数字で表示するため,シャッター優先の使用もできる完全自動露光デジタルAE(Automatic Exposure)一眼レフカメラで,STシリーズの高級化を図ったものであった。

1973年(昭和48年)末からの第1次オイルショックで世界経済全体がい縮し,海外主要国の消費の抑制で,それまで順調であったわが国のカメラ輸出が鈍化してきた。このような状況の中で,当社は,新たな一眼レフ市場開拓のため,機動性と経済性を追求した普及型一眼レフの開発を進めた。そして1976年(昭和51年)3月,TTL絞り込み測光で,フジノンF2.2 55mm標準レンズ付きの“フジカST605”を開発,まず海外市場に発売後,同年7月から国内にも発売した。

次いで,1978年(昭和53年)6月に“フジカST605”を開放測光方式とし,ファインダー内にシャッタースピード表示機構を加えた“フジカST605II”を追加発売した。“ST605II”は経済性と性能を追求した,中高校生を含むニューヤング層向けの普及機として“フジカマークII”の愛称を付した。

この間,高性能一眼レフボディーにズームレンズを標準装備した,大きさも価格も一般一眼レフなみの機動的なカメラの開発に取り組み,1977年(昭和52年)6月,“フジカAZ-1”として輸出用に発売,同年11月,国内用にも発売した。“AZ-1”は,TTL開放測光で,カメラ用では最大のLSIを使用した電子シャッターの高性能AE一眼レフボディーに世界最小のコンパクト設計の焦点距離43~75mmのズームレンズを標準レンズとした。

一方,一眼レフカメラが広く一般に普及するにつれて,一眼レフでもストロボ内蔵を望む声が強まってきた。一眼レフにストロボを内蔵させるのは,大きさや重量の点で困難な問題が横たわっていたが,当社は,新しい発想から開発を進め,ファインダー内の3点LED露光表示に従って手動で露光を決めるとシャッター速度が連動するプログラム式無段階ミラーシャッターを採用し,1979年(昭和54年)6月,“フジカST-F”を“ストロボ一眼”の愛称で発売した。“ST-F”はストロボを内蔵させたうえ,従来よりもさらに小型軽量化を図り,しかもコンパクト機なみの価格を実現し,コンパクトカメラと一眼レフの接点にある層の掘り起こしを図った。

110カメラ“ポケットフジカ”の発売

1972年(昭和47年)3月,コダック社はスチル写真の新しいフォーマットを発表した。手帳を少し厚くしたような箱型の“コダック・ポケット・インスタマチックカメラ”と,専用のカートリッジに収められた“110カートリッジフィルム”で,ワイシャツやズボンのポケットに突込み,手軽に持ち運んで撮影できるので,“ポケットカメラ”の愛称で呼ばれるようになった。

コダック社は,同年10月,ポケットシステムを日本市場に導入,日本のカメラメーカーも相次いでポケットカメラを発売した。当社も,コダック社の発表と同時に,コダック社とライセンス契約を結び,研究開発に着手した。フィルムの商品化に当たって,高温迅速処理で超微粒子の優れた画質が得られる110カートリッジフィルム“フジカラーF-IIポケット”(12枚撮,20枚撮)を完成した。また,カメラに関しては,薄型のボディーを水平にしてシャッターを押すため,手振れを生じやすかったので,軽く押すだけでシャッターが切れて,手振れによる撮影ミスを減少させるようにした“ポケットフジカ”5機種(“200”,“300”,“400”,“500”,“600”)を完成した。そして,1974年(昭和49年)9月の第13回フォトキナに,この“富士ポケットシステム”を発表した。翌1975年(昭和50年)1月,海外に発売するとともに,同年3月,国内でも発売した。

“ポケットフジカ200”,同“300”は,固定焦点の初心者向けカメラで,室内・夜間撮影に,前者はマジキューブ(スプリングの力でフラッシュバルブの外型の金属管をたたき,そのショックで管内の点火剤が発火する電源不要のフラッシュキューブ)用シュー付き,後者はストロボ付きとした。また,同“400”は,ゾーンフォーカス(撮影距離を数点に区分し被写体がその区分内にあればピントが合う)による焦点方式を採用した電子シャッター付きのEEカメラで,スタンダードタイプとした。同“500”,“600”は,さらに,プログラム電子シャッター付きの完全EEカメラとし,前者はゾーンフォーカス焦点方式,後者は,さらに距離計を二重像合致連動式としたほか,セルフタイマーを付加した高級機とした。

“ポケットフジカ”は,当初から普及機から高級機まで一挙に5機種を投入したことと積極的な販売努力によって内外市場で順調に伸びていった。

その後,1976年(昭和51年)3月と10月に,レバーを左右に動かすだけでロングからアップまで多彩な撮影が楽しめる“350ズーム”と,20mmの広角レンズ付きで,内蔵したクローズアップレンズで40cmの接写も楽しめる“350ワイド”を追加した。

[写真]ポケットフジカ600

ポケットフジカ600

[写真]ポケットフジカフラッシュAW

ポケットフジカフラッシュAW

これら機種の整備を進める一方で,手振れによる撮影ミスをさらに少なくするための対策を検討した。その結果,これまでのボディーを上下から挟んで持つ水平型カメラを改めて,35mmカメラと同様な縦型のカメラを開発し,1977年(昭和52年)3月,“ポケットフジカ450フラッシュ”として発売した。

自分で写真を撮る人のうち,約75%はストロボをカメラに装着してストロボ撮影するのは難しいと思っているというデータもあるところから,同機はポップアップ式のストロボを内蔵させ,当社が世界に先駆けて開発した超高感度フィルム“フジカラーF-II400ポケット”を同時発売し,その普及を図った。

これ以降,当社ポケットカメラはすべて縦型にモデルチェンジした。この結果,手振れによる撮影ミスは急激に減少し,ポケットカメラは一層普及していった。

その後,翌1978年(昭和53年)4月にプログラムシャッター付きの“550オート”を,1979年(昭和54年)4月に自動巻き上げの“ポケットフジカフラッシュAW”を,それぞれ発売し,次いで,同年7月,25~42mmのズームレンズ付き“フラッシュズーム”,そして1981年(昭和56年)6月には,レンズ前面にレンズプロテクターを付けてケースレスとした“380フラッシュ”と,次々に使いやすさと機能化を進め,ポケットカメラ市場のけん引力となっていった。

 
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