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PS版専門工場・吉田南工場の建設

 

PS版の需要の増大に対処して、当社はPS版専用工場の建設を計画、1970年(昭和45年)静岡県吉田町に用地を取得する。吉田南工場は、1972年(昭和47年)建設工事に着工、翌年6月試運転を始め、1974年(昭和49年)1月、本稼動を開始する。PS版専門工場として世界最大規模の吉田南工場は、PS版の品質向上と安定化に大きな威力を発揮し、優れた品質の製品を次々に生み出していく。その間、PS版の需要は、印刷物の高品質化、印刷業界の合理化、省力化要求などから順調に拡大し、一方、高品質の新製品“マルチグレインシリーズ”の開発もあり、1981年(昭和56年)にはさらに新製造設備を増設して増産に対処、PS版の普及に拍車をかけていく。

吉田南工場の建設

当社は,1965年(昭和40年)小田原工場内にオフセット材料工場を建設してPS版の国産化に成功し,その後,積極的に品質の向上と業界への普及を図り,市場を拡大してきた。その結果,印刷物の増加やカラー化・高級化および印刷作業の省力化といった市場の要求にマッチし,PS版の需要は急激に増加した。

このPS版の急激な需要増への対応を図るため,PS版を量産する新鋭工場を建設することとしたが,小田原工場はすでに狭くなったため新たに工場用地を他に求めることになり,静岡県榛原郡吉田町東部の大井川堤防に隣接する地帯を最有力候補地として選定し,工場進出交渉を開始することとした。同地は,水が豊富であり,東名高速自動車道路吉田インターチェンジに近く,加えて,労働力の確保も比較的容易と見込まれること,敷地面積もまとまった広さが期待できることなど,好ましい条件も整っていた。

[写真]吉田南工場用地

吉田南工場用地

吉田町は,静岡県のほぼ中央部,駿河湾に面した半農半漁の町で養鰻業の盛んな所として知られているが,なお一層の発展を図るため工場誘致の意向も強かった。

1970年(昭和45年)3月,当社から静岡県および吉田町に対し工場進出を申し出,4月には,吉田町議会や地主,漁業組合・養鰻組合への説明会の開催など,関係者の基本的同意を取り付けるための努力を重ねたが,この段階で,町長をはじめ関係者の努力で,町役場内に「富士フイルム進出促進委員会」が設置され,町をあげてこれを積極的に推進する体制ができ上がった。

続いて,取水・排水問題,土地の売買価格問題などの交渉を重ねた結果,7月,町当局との間で,工場誘致に関する覚書を調印し,9月には,漁業・養鰻両組合と取水・排水に関する覚書および同意書を,270名余りの地主との間に土地売買契約をそれぞれ調印し,おおむね順調に地元との協定が成立した。

吉田町当局との交渉に並行して,当社は,1970年(昭和45年)6月に建設班を編成して工場設計などの作業に入った。その後,1971年(昭和46年)8月,ニクソンショックに見舞われたため,工場建設計画は一時見送らざるを得なかったが,ようやく環境の好転した1972年(昭和47年)5月になって地鎮祭を行ない,建設工事に着工(同11月からは建設班も現地常駐を開始),同12月には吉田南工場組織を発足させた。

工場建設もほぼ順調に推移し,翌1973年(昭和48年)6月,機械試運転を開始,同9月,製造試運転を開始,翌1974年(昭和49年)1月,計画を1か月早めて本稼動に入った。しゅん工式は同年2月に挙行した。

新装なった吉田南工場は土地約32万m2(9万7,000坪),ここに,PS版専用としては世界最大かつ最新鋭の工場が誕生した。新工場の稼動に伴って,PS版の生産の大部分は吉田南工場に移管したが,一部の特殊品については,後述する4号機の稼動のメドがついた1981年(昭和56年)4月まで小田原工場で生産を継続した。

また,研究関係も,1974年(昭和49年)7月,小田原工場オフセット材料部の研究部門を当工場に移設,吉田南工場研究室を設置し,市場の要求にマッチした新製品の開発を強力に進めていった。

[写真]稼動当初の吉田南工場 1974年(昭和49年)

稼動当初の吉田南工場 1974年(昭和49年)

工場の順調な稼動と生産設備の増強

[写真]PS版製造設備

PS版製造設備

[写真]PS版裁断加工設備

PS版裁断加工設備

1974年(昭和49年)1月から本格稼動を開始した吉田南工場の新鋭機(PS版製造3号機)は,全製造工程が完全自動制御された一貫ラインで,PS版製造機としては世界最大のものであり,ここに,高品質かつ均質のPS版が大量に安定供給できる体制が確立された。

この間,PS版の需要は,第1次オイルショック時の一時的な停滞を除き,順調に拡大を続けた。また,産業界でのカタログや広告などの印刷物の高品質化傾向,印刷業界での合理化・省力化の要請や環境改書の必要性の高まり,活字組版から写植,さらに電算写植システムヘの急速な移行がPS版の採用を一層進めることにもなった。

吉田南工場では,塗布スピードのアップやアルミ広幅化による塗布能力の向上などの生産合理化を進めるとともに,ユーザーニーズにマッチした品質の改良も積極的に進めた。1978年(昭和53年)にはポジタイプ“GAP”と“SGP”を,翌1979年(昭和54年)にはネガタイプ“GAN”と“SGN”のニュータイプを,それぞれ発売して,耐刷力の向上と印刷仕上がりの良化を図った。また,よりきめ細かいユーザーサービスを指向して,1978年(昭和53年)には加工工程の合理化設備投資を行ない,ロールの供給からスリット,カット,集積および包装まで一貫した完全自動ライン化を図り,加工能力の増強と加工コストの引き下げを進めた。

この結果,吉田南工場のPS版生産実績も年率2けたの伸びを確保し,1975年(昭和50年)から1980年(昭和55年)の5年間で,生産量は2.7倍に達した。

その後,1981年(昭和56年)には,世界最高品質を誇るマルチグレインシリーズを開発したが,それを機に,PS版の一層の品質向上と国内外の需要増に対処するため,新しくPS版製造設備(4号機)の建設に着手した。この4号機は,半世紀にわたる感光材料製造技術と10数年に及ぶPS版製造技術の粋を結集して,1980年(昭和55年)5月に着工し,翌1981年(昭和56年)8月に完成,直ちに本稼動に入った。

新鋭4号機の本稼動によって,吉田南工場の月産能力は250万m2を超えた。1983年度(昭和58年度)のPS版関連製品の売上高は,全売上高の8.5%を占めるに至り,PS版事業は当社経営の極めて重要な柱の一つとして,たくましく成長した。

[写真]完成した新鋭製造設備 1981年(昭和56年)

完成した新鋭製造設備 1981年(昭和56年)

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