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次世代写真感光材料を目指して - 研究体制の充実

 

当社は、写真感光材料の輸入自由化を迎えるに際して、カラー製品の輸出適性を実現しているが、この課題を完成して間もなく、コダック社の製品が高温迅速処理に切り換えられ、当社製品もこの新処理方式に適合するように改良研究を進める。これと並行して、写真感光材料の研究は、高画質化の研究が重要なテーマとなる。1970年代の後半になると、さらに高感度化の研究が推進される。この間、研究の進め方や研究者の意識の改革も進み、研究設備も充実する。分析技術や画質評価技術も大きく進歩し、素材合成部門も強化する。これらが大きく寄与して、“フジカラーF-II 400”をはじめ世界に誇る数々の新製品を生み出していく。

1970年代前半の写真感光材料研究

写真感光材料の輸入が完全に自由化される1970年代を迎えるに当たって,当社は,カラーフィルムもカラーぺーパーもコダック社の製品と同一の処理方式で現像できる商品,すなわち,海外市場に輸出できる商品の開発に成功していた。ところが,このころからコダック社は,カラーラボの生産性向上のために現像処理の方式を高温迅速処理の方式に切り換えていった。したがって,コダック社の製品と同一の処理方式で現像できるようにするために当社は,再度,この新しい処理方式に適合し得るように製品の改良を進めなければならなかった。

写真感光材料研究部門は,この対策に追われたが,ようやく1974年(昭和49年)に至ってカラーネガフィルムは“フジカラーF-II”で,カラーぺーパーも新しい改良品で新方式で処理できるものに切り換えた。

この対策と並行して,この時期の写真感光材料の開発の主テーマは画質の向上に置かれた。カラーぺーパーでは,前述の高温迅速処理適性を付与するために新たに開発された二当量カプラーが大きな役割を果たした。それまでは,カラーの色素1分子を作るのに銀4原子を必要としたが,二当量カプラーは,その名のとおり,色素1分子を作るのに銀2原子でできる効率のよいカプラーで,この二当量カプラーをはじめ,各種の新型カプラーを使用することによって,色が鮮やかで,かつ,保存性の優れたカラーぺーパーを商品化することができた。

一方,カラーネガフィルムでは,1974年(昭和49年)にIRG技術に基づいた“フジカラーF-II”が開発された。このIRG技術によって画像の粒子が粗くなることが抑えられ,鮮鋭度が向上した。現在の微粒子カラーネガフィルムは,この技術が原型になって達成されたもので,新技術達成という点で意義深いものであった。

1970年代に入って,それぞれの専門分野ごとに研究者も数多く育成され,専門領域における研究もより深まっていった。研究テーマが複雑化するにつれ,これらの研究の遂行に当たっては,タスクフォース的運営を採ることが多くなった。それぞれの研究テーマごとに異なった専門分野の研究者によってプロジェクトチームを編成し,研究の効率的遂行を図った。

[写真]合成薬品の純度試験

合成薬品の純度試験

[写真]電子顕微鏡による素材表面の観察

電子顕微鏡による素材表面の観察

[写真]研究所5号館 1974年(昭和49年)

研究所5号館
1974年(昭和49年)

このタスクフォース的運営を行なっている中で,従来ややもすると自己の専門分野の研究にのみ関心が集中しがちであった研究者の意識も変革されていった。タスクフォースシステムによる柔軟な組織運営と研究者の意識の変革は,研究の効率を高めるうえで著しい効果をあげた。

また,この時代には,商品化研究では,その当初の段階から研究所内部で最終商品としての総合評価を進めていくことの重要性が認識され,足柄研究所内に評価部門を新設した。このことも,研究者に商品設計に対する考え方の変化を促す重要なきっかけを与えることになった。

このような考え方の変化と並んで,研究の進め方や結果の解釈の仕方,研究用の諸設備の充実にも見るべきものがあった。ハロゲン化銀の結晶に対するマイクロ波の吸収度や誘電損失から電導度を測定することが可能になり,その測定値によって,ハロゲン化銀の結晶の性質とそれが写真乳剤にどう影響するかが理解できるようになった。

分析担当部門でも,単に素材の構造式を追求するだけでなく,なぜそこにそのような構造をもつ化合物が使われているのかというその背後にある技術思想を推定するような分析を行なうようになってきた。これは,物質の形体や分子構造を推定することが可能な各種の機器,たとえばフーリエ変換-NMR(核磁気共鳴装置)やレーザーラマンスペクトル測定装置といった機器が急速に進歩したこと,それを当社の研究部門にタイムリーに採り入れたこともあずかって大いに力があった。

1973年(昭和48年)には第1次オイルショックに襲われたが,その間でも,次の時代を目指す研究はたゆむことなく続けられた。“フォトラマ”の開発研究のためのNS事業部も,この時期に発足した。

この増大する研究量に対応するため,1974年(昭和49年)4月には,足柄研究所に5号館を建設し,商品設計部門を整備した。このような努力が実を結んで,1973年(昭和48年)から1974年(昭和49年)にかけて,8mm高感度カラーリバーサルフィルム“RT200”,テレビニュース用16mm同“RT400”,迅速処理用カラーぺーパーなどが次々と巣立っていった。しかし,カラーネガフィルム“フジカラーF-II”の商品化では,他社に比して多少の遅れを生じた。これが研究のマネジメントの進め方に反省の機会を与えるきっかけとなり,この反省が2年後に世界に先駆けて“フジカラーF-II400”を開発する大きな原動力ともなった。

1970年代後半の写真感光材料研究

1970年代後半では,画質改良に加えて,高感度化ということが写真感光材料の研究テーマとして重要になってきた。この高感度化の技術は,先に述べたカラーリバーサルフィルム“RT200”や“RT400”の中ですでに培われており,次に商品化した“フジカラーF-II400”は,単に世界初の高感度カラーネガフィルムとして世界の大きな話題になっただけでなく,その中に各種の新技術が盛り込まれた点でも,歴史の一時期を画するものであった。また,世界をリードするものがわれわれにも開発できるのだという自信を技術者に与えた効果も見逃すことはできない。

一方,この時期は黒白フィルムの分野でも多くの成果をあげた。

印刷製版用感光材料では,まず,1970年(昭和45年)の初め,スキャナーフィルムの高感度化を実現して,世界で初めてダイレクトスキャナー用のフィルムの開発に成功した。

また,リスフィルムにおいては,いち早く製品中にごく微量に含まれていた公害要因物質を除去するとともに,リスフィルムの現像処理の安定化を実現するため,フィルムと処理剤・処理機器を総合的に一つのシステムとして一体化した“HSLシステム”を開発し,大きな成果をあげた。

X-レイフィルムの分野では,被ばく線量を大幅に軽減するために,希土類蛍光増感紙とグリーン感色性X-レイフィルムの開発に取り組み,“富士GRENEXシステム”を完成した。

また,オイルショックによる原材料価格の異常な高騰に対処するため,使用銀量の少ないX-レイフィルムの開発に取り組んだ。その省銀方法は,銀の代わりに発色効率のよいカプラーを使用し,通常の発色現像で実現しようとするもので,そのための効率のよいカプラーや写真感光乳剤および現像処理方式の探索を進めた。この方法では,青色の画像が得られるので,これを見やすくするためのビュアーの設計と新しいシステムに対する画質評価法の研究も取り上げ,精力的に一つ一つの問題点を解決していった。

その間に,1975年(昭和50年),1976年(昭和51年)の両年にわたり,通商産業省から「高感度写真フィルムの省銀化」に関する工業化試験補助金の交付を受け,パイロットプラントを設置し,試作品を完成した。この試作品は,性能的には満足できるものであったが,このシステムではユーザーが新しく現像処理機を設置しなければならないなどの問題もあったので,技術ストックとすることとした。

一般写真用黒白フィルムでも,国産初の高感度フィルム“ネオパン400”を完成した。

これらの新製品を開発する際,基礎となったものの一つとして見逃すことができないものは,画質評価法の進歩である。すなわち,コンピューターの進歩普及に歩調を合わせたミクロセンシトメトリー(フィルムの極く小さい部分の感光度その他の写真の特性を測定評価する技術)の精度向上,あるいは,多年にわたる色再現基礎研究(色をどういう数字で表示すれば正確に表すことができるかという研究)の成果が実って,レーザーを用いた精巧なカラーシミュレーターの開発に成功した。このカラーシミュレーターを活用することによって,新フジクロームをはじめとする一連の商品群の開発に際して,基礎的かつ重要な指針を与えることができた。解析技術者や画像設計技術者も商品化プロジェクトに活発に参画するようになり,迅速な商品化に寄与するようになった。

[写真]足柄研究所新1A号館 1977年(昭和52年)

足柄研究所新1A号館
1977年(昭和52年)

商品設計における有機素材の役割も,ますます重要になってきた。この分野の研究技術者を充実・強化するとともに,足柄研究所では,設立以来の1号館を撤去して,1977年(昭和52年)12月,その跡に新たに1A号館を建設し,研究体制を充実した。これらの先行投資が,その後の“F-II400”および“A250”を生み出すのに大きく貢献した。このことは,商品設計をするに当たって,合成部門の重要性を認識させる点でも重要な意義をもってきた。

なお,足柄研究所は,全社の素材合成に関する研究も担当し,他事業場で必要となる素材,たとえば,PS版や感圧紙の改良や新製品の開発に対しても重要な役割を果たしてきた。

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