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“世界の富士フイルム” - 新しい時代に対応した海外活動の展開

 

1980年代に入り、当社は、世界の富士フイルムを目指して、新CIマークのもと、従来にも増して、海外活動を活発に展開する。海外拠点を強化し、海外TECを整備する。世界各地のカラーラボ網の整備も進める。数多くの優れた新製品の導入と積極的な海外活動によって、輸出額は年々上昇し、1983年度(昭和58年度)には、輸出額1,896億円・輸出比率34.8%を記録する。1984年(昭和59年)に開催されたロサンゼルスオリンピック大会には、公式フィルムに認定され、積極的な協賛活動を展開し、会期中は、現地に「フジオリンピックラボ」を設置し好評を得る。オランダに建設を進めていた写真感光材料工場も稼動を開始し、世界の富士フイルムを目指し、さらに前進する。

新CIマークを世界中に

[写真]ロンドン・ピカデリー広場の新ネオンサイン

ロンドン・ピカデリー広場の新ネオンサイン

[写真]ニューヨーク・タイムズスクエアの新ネオンサイン

ニューヨーク・タイムズスクエアの新ネオンサイン

[写真]飛行船「DER GROSSE FUJI号」

飛行船「DER GROSSE FUJI号」

1980年代の冒頭に新CIマークを制定した当社は,国内と同時に,海外でも新CIマークの浸透作戦を推し進めていった。すなわち,1981年(昭和56年)1月に,ロンドン・ピカデリー広場の当社ネオンサインをグリーンのバックにCIマークと“FUJI FILM”のブランド名を組み合わせた清潔感あふれる新CIのデザインに変更した。また,同年10月には,ニューヨークのタイムズスクェアに当社の大ネオンサインが完成し,ブロードウェイ側にはCIマークと“FUJI FILM”の文字を,また,43丁目側にはCIマークと“COLOR FILM”,“CAMERAS”,“AUDIO VIDEO CASSETTES”の文字がくっきりと浮かび上がった。

そのほか,ベルリン・チューリッヒ・パリ・シドニー・バルセロナ・ジャカルタ・コペンハーゲン・台北・香港など,世界の大都市20か所に新しいCIマークの当社ネオンサインが次々に完成。CIマークと“FUJI FILM”を世界の人びとにPRし,当社と当社製品のイメージ浸透を図った。

また,1981年(昭和56年)4月には,ヨーロッパの現地法人Fuji Photo Film(Europe)G.m.b.H.が西ドイツでのキャンペーンのために飛行船「DER GROSSE FUJI号」(偉大な富士号)を周航させた。全長60m・直径14.5mの「DER GROSSE FUJI号」は,その年の5月から7月にかけて西ドイツ各地を巡航,翌年には,フランスとスペインにも足をのばした。白とグリーンの船体に,CIマークと“FUJI FILM”の文字も鮮やかな飛行船は,行く先々で歓迎をうけ,キャンペーンは大成功を収めた。

さらにこの年には,当社のフィルムがワールドカップをはじめとする世界のサッカー大会のオフィシャルフィルムとして,世界サッカー連盟(FIFA)およびヨーロッパサッカー連盟(UEFA)から公認された。これによって,1982年(昭和57年)のワールドカップをはじめ,ヨーロッパカップウィナーズカップ・ヨーロッパチャンピオンクラブズカップを協賛,当社は,競技場に“FUJI FILM”の看板を出すだけでなく,ポスターその他,あらゆる機会をとらえて広告宣伝活動を展開し,“FUJI FILM”ブランドイメージと新CIマークの浸透を図った。

ワールドカップサッカー大会の模様は,ヨーロッパ各地をはじめ,わが国を含む世界137か国のテレビ網で放映され,当社のブランドと新CIマークを世界に広めるのに大きな力を発揮したのであった。

海外拠点の充実・強化

当社は,輸出の伸長に伴い,さらにきめ細かいマーケティング活動の展開を図って,海外拠点の充実・強化を進めていったが,1980年(昭和55年)9月に当社第6番目の現地法人Fuji Photo Film Canada,Inc.をモントリオールに設立,また,1980年(昭和55年)11月,シドニー事務所を開設して,オセアニア地域における当社製品のマーケティング体制を強化した。

一方,シンガポール事務所は,現地法人とすることとし,1983年(昭和58年)11月,Fuji Photo Film(Singapore)Pte Ltd.を設立し、シンガポール国内での販売体制の確立とマレーシアやブルネイおよびインドネシア各市場でのマーケティング活動の強化と技術サービス活動の充実を図った。

海外のカラーラボ網も,引き続き整備・強化された。

米国の現地法人Fuji Photo Film U.S.A., Inc.は,1981年(昭和56年),Fuji Anaheim Color Lab., Inc.を設立し,ロサンゼルスの南約40km,ディズニーランドでなじみ深いアナハイムに米国における初の直営ラボを建設した。翌1982年(昭和57年)5月から営業を開始し,カラーネガフィルムの現像・カラープリントの製作・リバーサルフィルムおよびシングル-8フィルムの現像を行なっている。

また,西独のフジカラーラボ「フォテックス」の新しい現像所も,デュッセルドルフ市に近いヴィリッヒ市に完成,1982年(昭和57年)6月,開所式を行なった。敷地3万m2・従業員400名の同ラボは,ヨーロッパでも有数の大型ラボとして,単に高品質の写真をユーザーに提供するだけでなく,当社ラボ機器がシステムとしてラインの中で活躍している実際の姿を見てもらうというフジカラーモデルラボとしても重要な役割を果たしている。なお,新装なったフォテックスラボには,フォトフィニッシングに関するTEC(テクニカルコミュニケーションセンター)が併設され,6月から活動を開始した。先に1981年(昭和56年)1月から活動しているTECシンガポールとともに各国代理店の技術者やセールスマンのトレーニングを行なうほか,各種の当社ラボシステム機器を展示し,実際の使用を通じてユーザーとのコミュニケーションの良化と市場ニーズの収集,また、きめ細かいテクニカルサービスを行なっている。

また,スウェーデンでは,1983年(昭和58年)1月,同国の有力ラボを買収,同国におけるシェアの確保と販売伸長を積極的に進めた。

[写真]シンガポール新事務所

シンガポール新事務所

[写真]アナハイムラボ

アナハイムラボ

[写真]デュッセルドルフ新事務所

デュッセルドルフ新事務所

[写真]新装なったフォテックスラボ

新装なったフォテックスラボ

[写真]フォテックスラボにおけるプリント製作作業

フォテックスラボにおけるプリント製作作業

[写真]スウェーデンの当社ラボ

スウェーデンの当社ラボ


また,フランス代理店との合弁ラボ第二ラボが1981年(昭和56年)7月から,南フランスで稼動を開始したほか,世界各国の代理店ラボ(代理店が自ら経営しているカラーラボ)は,それぞれ,その強化を図りつつ,フジカラーフイルムおよびフジカラープリントの高品質イメージの向上に努力した。

なお,その他,海外拠点の一層の充実を図るものとして,当社欧州法人Fuji Photo Film(Europe)G.m.b.H.が新社屋を建設して,1983年(昭和58年)10月から移転し,ますます地に着いた販売活動を展開していった。

一方,1983年(昭和58年)10月,創立25周年を祝う記念式典を行なった当社ブラジル法人Fuji Photo Film do Brasil Ltda.は,すでにブラジル全土に販売網を展開し,サンパウロ・リオデジャネイロ・ポルトアレグレに自社ラボを,また,サンパウロ州カサパーバ市に加工工場を有する規模になり,南米各市場に対してカラーフィルム・カラーペーパーなどの供給拠点としてますます充実していった。

また,韓国代理店の加工工場は,その後,稼動も順調に推移し,さらに1984年(昭和59年)3月,写真薬品の生産も開始,韓国における生産拠点としてますます充実していった。

なお,インドネシア代理店の加工工場の稼動も順調で,カラーフィルム・カラーぺーパーの販売伸長に大きく寄与しているが,1982年(昭和57年)8月から開始している35mmカメラの生産・販売も好調を持続しており,同国における生産拠点として力強く活動している。

[写真]サンパウロ新事務所

サンパウロ新事務所

[写真]香港新事務所

香港新事務所

中国との交流

[写真]足柄工場を訪れた姚依林中国副総理

足柄工場を訪れた姚依林中国副総理

1983年(昭和58年)4月11日,当社足柄工場は,中華人民共和国姚依林副総理を団長とする一行16名の訪問を受けた。

姚副総理一行は,中国経済運営方針と日中経済協力問題について,わが国政府・財界の首脳と意見を交換するとともに,わが国産業技術について理解を深めたいとの主旨のもとに,企業視察を行なった。当社足柄工場の見学は,この一環として企画されたものであった。

ところで,中国と当社との交流は20年をさかのぼることができる。

1963年(昭和38年)1月,当社技術者が,映画用フィルムおよびX-レイフィルムに関する市場調査のため中国に出張,その翌1964年(昭和39年)5月には,中国電影器材公司から映画関係技術者の訪問を受けたが,これが戦後の交流のはじまりであった。

その後,商社を通しての各種展示会への参加などを契機に取引商品の範囲も次第に広がり,映画用フィルム・印刷製版用機材・X-レイフィルムあるいはカメラ,そして最近は,アマチュア用カラーフィルムやその現像プリント処理機も中国へ導入されはじめた。

1984年(昭和59年)10月には,北京に駐在員事務所を開設した。

当社は,中国との交流については,これまでと同様,長期的観点からこれに対処し,長い目で中国市場の発展に協力していきたいと考えている。

新製品の発売と輸出の伸長

[写真]フォトキナ'82における当社ブース

フォトキナ'82における当社ブース

[写真]海外向けカタログ

海外向けカタログ

[写真]輸出額の推移

当社は,1980年代に入って,“世界の富士フイルム”を掲げて,活発な海外活動を展開した。この間,アマチュア用写真感光材料をはじめ,映画用フィルム・X-レイフィルム・印刷製版用材料(リスフィルム・PS版)・光学機器製品・磁気記録材料(ビデオテープ・オーディオテープ)などの輸出に注力し,輸出額を大きく伸長させていった。

一般用カラーフィルムの分野では,“フジカラーF-II”・“フジカラー400”に続いて,1983年(昭和58年)1月末から新世代カラーフィルム“フジカラーHR100”・同“HR400”を開発し,輸出を開始した。同時に,ロサンゼルスオリンピックのシンボルマークを刷り込んだパッケージを導入し,各国で積極的な拡販活動を実施した。また,同年11月からは,“フジカラーHR200”も輸出を開始している。

一方,1982年(昭和57年)2月からは,フジインスタントフォトシステム“フォトラマ”も東南アジア市場に導入した。

さらに,1982年(昭和57年)10月のフォトキナ’82で発表したニュータイプの各種カラーリバーサルフィルムも翌1983年(昭和58年)3月には輸出を開始,さらにこの月には,同じくフォトキナ’82で発表し,その発売が待たれていた“フジカラーHRディスクフィルム”も出荷を開始した。

カメラでは,全自動カメラ“フジカオート5”・“フジカオート7”に加えて,同じくフォトキナ’82で発表した世界初のパトローネ落とし込み方式による画期的なフィルム自動装てんを実現した35mmカメラ“フジカDL-100”および“フジカDL-20”を市場に導入した。また,1983年(昭和58年)4月から“フジカG617”を,同年6月から“フジカGS645”を中心としたプロフェッショナルカメラの発売により,プロ分野への進出も開始した。また,1983年(昭和58年)7月からは,2機種のディスクカメラを海外市場向けに発売した。

磁気記録材料分野では,1982年(昭和57年)8月,急伸するVTR市場にタイミングよく高画質の“スーパーHG”を導入し,この分野においても当社の高い技術水準を示した。また,高度成長が確実視されるフロッピーディスク市場への本格的な参入を図るなど,高度化する情報化社会のニーズを反映した商品系列が急速に増加していった。

このほか,各製品分野でも輸出の伸長を図った。その結果,輸出額は,1980年(昭和55年)以降,年々10%を超える伸びを示し,1980年(昭和55年)の1,284億円から1983年(昭和58年)には1,896億円と,ほぼ順調に伸びてきた。また,輸出比率も,1983年(昭和58年)には,34.8%を記録,当社が着実に“世界の富士フイルム”へと発展しつつあることを示した。

しかし,わが国は大幅な貿易黒字を記録,輸出環境は年々厳しさを加えている。この中で,当社は,世界の人びとのニーズに応えた製品を開発し供給することを目指し,ヨーロッパでの現地生産に踏み切るとともに,世界各地でのサービス体制の整備を進めるなど,“世界の富士フイルム”を目指して努力を重ねている。

ロサンゼルスオリンピックの公式スポンサーに

[写真]世界各国のカメラマンでにぎわったフジオリンピックラボ

世界各国のカメラマンでにぎわった
フジオリンピックラボ

[写真]プレスセンター内に建設されたオリンピックラボ

プレスセンター内に建設された
オリンピックラボ

[写真]ロサンゼルスオリンピック開会式上空を飛ぶ飛行船「FUJI号」

ロサンゼルスオリンピック開会式
上空を飛ぶ飛行船「FUJI号」

1981年(昭和56年)12月11日,ロサンゼルスオリンピック組織委員会(LAOOC)と当社は,1984年(昭和59年)ロサンゼルスオリンピック大会のスポンサーシップ契約を締結した旨発表した。これによって,当社フィルムはロサンゼルスオリンピックの公式フィルムに認定され,当社は,オリンピック大会の写真処理業務を任されることとなった。

オリンピック運動の目的は,「スポーツを通じて,より友好的で,より平和な世界を建設し,国際親善を創り出すこと」にある。当社も「世界の人々によりよい製品を提供し,よりよいコミュニケーションのお手伝いをする」ことを信条としていること,また,1984年は当社にとって創立50周年に当たり,この記念すべき年にオリンピック大会に協賛できることは非常に意義深いことであること,当社の技術力と品質が高く評価された結果であることなどを考慮し,“世界の富士フイルム”“技術の富士フイルム”の確立を目指す当社の世界的な展開策の一つとして,公式スポンサーを引き受けることとした。

「1984年ロサンゼルスオリンピックの公式プロダクツ」として認定された当社製品は,写真フィルムおよびペーパー・処理機器のほか映画用フィルム・マイクロフィルム・グラフィックアーツフィルム・PS版・X-レイフィルムおよびそれらの処理機器と広い範囲に及ぶ。当社は,これを機に,全世界に広がる営業・サービスネットワークの活用をさらに促進し,ロサンゼルスオリンピックのシンボルマーク「スター・イン・モーション」やマスコット「イーグルサム」を用いて,広告・PRその他の販売促進活動をワールドワイドな規模で展開し,同時に,オリンピック運動の一層の高揚を図ってきた。また,当社現地法人や代理店による各国オリンピック組織委員会に対する協賛活動も活発に行なわれた。

大会期間中は,プレスセンター内にオリンピック史上最大の規模を誇る「フジオフィシャルプロセシングセンター」(略称「フジオリンピックラボ」)を設置し,世界中から集まった公認カメラマンや報道陣にフィルムの現像サービスを行なった。

「フジオリンピックラボ」は,広さ1,500平方メートル,ここにカラーリバーサルフィルム用・カラーネガフィルム用・黒白フィルム用など,全部で11台の自動現像機を設け,日本からも60名近い技術者を派遣した。そこで現像処理された品質のすばらしさは,国際オリンピック委員会(IOC)・LAOOCをはじめ,多くの写真関係者から称賛された。また,LAOOCに対しては,オリンピックの公式記録写真作成のためのフィルムを提供し,公式記録映画にも当社フィルムが全面的に採用された。オリンピック競技場や選手村の売店では,当社のフィルムのみが販売された。

なお,米国現地法人Fuji Photo Film U.S.A., Inc.は,ロサンゼルスオリンピックの公式プロダクツの認定を全米の消費者に周知し,当社のイメージを高めるための宣伝PRとして,1984年(昭和59年)3月から飛行船「FUJI号」(長さ50m,胴の直径14m)を周航させたが,大会期間中は,LAOOCに貸与され,大会運営に一役買った。開会式の上空に周遊する「FUJI号」には,グリーン色の中にWELCOMEの白文字が大書され,入場行進する選手たちを空から歓迎した。

大会3日目の7月30日に,当社大西社長と会見したLACOOCユベロス(Mr.Ueberroth)委員長は,当社のロサンゼルスオリンピックに対する強力な支援に深く感謝すると述べるとともに,フジオリンピックラボの評判の良さに触れ,当社の活動を称賛した。

総じて,3年にわたった当社のオリンピックキャンペーンは,アマチュア写真分野やプロ写真用商品分野でのブランドイメージのアップに大きく寄与するとともに,「世界のフジ」を標ぼうする当社企業イメージの向上に貢献した。

世界最大のスポーツの祭典オリンピックは,数々の名場面や決定的瞬間を生み,それを記録した写真は,後々まで見るものの胸を打つ。ロサンゼルスオリンピックでは,当社のフィルムが,それらを記録し,また,その記録写真が広く報道された。当社のスポンサー活動は,世界の多くの人びとにオリンピックの感動と写真の楽しさと喜びを伝える役割を果たしたことによって,さらに光彩を放つものとなった。

オランダ写真感光材料工場の建設

[写真]ティルバーグ市長によって執り行なわれた起工式

ティルバーグ市長によって
執り行なわれた起工式

[写真]完成したオランダ写真感光材料工場

完成したオランダ写真感光材料工場

当社は,1982年(昭和57年)8月,オランダに大規模な写真感光材料工場を建設する旨発表した。

工場建設地ティルバーグ市は,人口およそ15万人,ヨーロッパの玄関ロッテルダムと当社のヨーロッパ地区販売拠点デュッセルドルフにも近く,交通も至便という優れた立地条件に加えて,労働力の確保・原材料の入手や製造に不可欠な大量の水の確保も容易という好ましい環境にある。

この地に,当社は工場用地21万m2(約6万3,000坪)を確保,当初投資額約200億円で写真感光材料の一貫製造工場を建設することとした。

新会社Fuji Photo Film B.V.の設立登記も1982年(昭和57年)8月に完了,1983年(昭和58年)7月には,資本金を9,000万ギルダー(75億円)に増資した。工場の建設は順調に進んだ。また,各種機械類の調達・従業員の現地採用ならびにトレーニングも予定通り進行した。そして,1984年(昭和59年)8月,当初の計画通り稼動を開始した。

この工場は,当社製品の海外生産拠点としては,ブラジル・韓国・インドネシアに次いで4番目のものであるが,これまでの海外工場が,いずれも日本からバルクロールを輸入し,これを加工するものであったのに対し,新工場は,写真乳剤の製造に始まる一貫生産を目指した本格的なものである。コンピューター制御をはじめとする最新の製造技術と設備とを備えた最新鋭の工場であり,この工場の本格稼動によって,欧州各国のユーザーに対するよりきめ細かいデリバリー体制が実現されることになる。

当社がこうしてヨーロッパ地域に深く根をおろすことは,当社のヨーロッパ市場における地位の安定にとどまらず,貿易摩擦解消の一助ともなるほか,ワールドエンタープライズとしての当社の地位をさらに一段と強化するものである。

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