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年表コーナー 1934年 FUJIFILM創立~

 

1934年

1月 1月20日創立総会開催 富士写真フイルム株式会社創立(資本金300万円)、淺野修一 専務取締役社長に就任

[写真]創立当時の社旗[写真]初代社長 淺野修一

2月 大阪出張所 開設
4月 映画用35mmポジティブフィルム(富士陽画用フィルム)乾板(富士スタンダード乾板)、印画紙(利根,富士) 発売
不二映画製作所を買収 (8月 富士スタジオとして発足)
写真乳剤製造の権威 マウエルホフ博士 着任
6月 当社の映画用35mmポジフィルム「朝日世界ニュース」でニュース映画に初めて使用される
東洋乾板株式会社を合併、雑司ヶ谷工場とする
7月 富士ポートレート乾板 発売
8月 引伸用印画紙 富士ブロマイド 発売
10月 当社の映画用35mmポジフィルム、長編劇映画として初めて、入江プロの作品「雁来紅」に使用される
11月 株式会社榎本光学精機製作所(現富士写真光機株式会社の前身)創立
12月 富士プロセスフィルム 発売

1935年

2月 マウエルホフ博士 離任
6月 富士パンクロ乾板 発売
8月 複写用ブロマイド紙 富士複写用ブロマイド 発売
9月 A1(エーワン)乾板 発売

[写真]A1(エーワン)乾板

10月 東京銀座菊正ビルの事務所を雑司ヶ谷工場に移転
足柄工場フィルムベース部門第1次拡充工事 完成
富士ポートレート乾板II型 発売

1936年

4月 ロールフィルム(富士クロームフィルム、富士ネオクロームフィルム) 発売

[写真]富士クロームフィルム発売ポスターを掲げる淺野社長

X-レイフィルム(富士レントゲンフィルム) 発売
映画用35mmネガティブフィルム(富士陰画用フィルム) 発売
5月 名古屋出張所 開設
7月 福岡出張所 開設
10月 ウィンキン技師を招き、バライタ紙の研究に着手
- 足柄工場フイルム部に第2号塗布機を設置

1937年

1月 小田原工場用地 買収
2月 足柄工場のフィルムベース部門第2次拡充工事による建物を完成
4月 大連に出張員を置く
6月 富士ネオパンクロマティックフィルム(ロール) 発売
7月 臭化カリウム、志村工場で生産開始
8月 増資(新資本金1,000万円)
9月 引伸用印画紙 ベロナ 発売
映画用35mm富士サウンドレコーディングフィルム 発売
富士ネオクロームパックフィルム 発売
10月 男子作業者の実働時間を30分短縮し、9時間30分制とする
11月 京城に出張員を置く
密着用印画紙 那智 発売
12月 大連出張所 開設

[写真]大連出張所 開設当時

足柄工場にバライタ紙研究室 設置

1938年

1月 映画用ポジフィルムに対する製造奨励金の辞退を申請
足柄工場フィルムベース部門第3次拡充工事による建物 完成
足柄工場に乾板塗布設備(3号塗布機)増設
3月 京城出張所 開設
新京に出張員を置く
富士航空フィルム 発売
5月 大連国産カメラ写真用品展覧会に参加
日本化学工業所へ投資、写真用ゼラチンの製造研究に関し提携
6月 小田原工場 設立

[写真]完成時の小田原工場

富士分光分析乾板 発売
映画用16mm富士ポジティブフィルム 発売
富士35mmフィルムSP(35mm判) 発売
7月 富士ポートレートカットフィルム オルソ 発売
9月 東京銀座中島ビルに事務所 移転

1939年

2月 大阪工業試験所および瀬戸工業試験所に技師を派遣、光学ガラスの製造実技研修に当たる
小田原工場に臭化カリウム製造設備を設置(志村工場から移設)
4月 足柄工場内に富士写真フイルム青年学校 設置
北辰製紙株式会社を買収し、翌5月今泉工場 設立
5月 男子作業者の実働時間を30分短縮し、9時間制とする
6月 研究所 発足
7月 小田原工場の精密機械部門 作業開始
9月 富士写真フイルム産業報国会 結成

[写真]富士写真フイルム産業報国会 結成式

上海に出張員を置く
フジリス乾板、フジリスフィルム 発売
12月 足柄工場に印画紙2号塗布機 増設

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