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年表コーナー 1940年~

 

1940年

2月 富士写真フイルム健康保険組合 創立
ビルツ博士を迎え,研究所に光学測定研究室を設置
富士オシログラフ用印画紙 発売
3月 小田原工場に光学ガラス工場 完成
4月 大阪工業試験所へ技師を派遣,レンズの設計研究など製造実技研修に当たる
小田原工場にレンズ工場 しゅん工
天津に出張員を置く
航空写真機(射点観測写真機)を製作納入

[写真]航空写真機(射点観測写真機)

8月 臭化カリウムの製造を大塚製薬工場に委託
小田原工場に硝酸銀製造設備を志村工場から移設
9月 不燃性(DAC)フィルムベースを使用した富士レントゲンフィルム 商品化
人像用印画紙 銀嶺 発売
10月 富士ポートレートパンクロ乾板 発売
富士35mmフィルムFP(35mm判) 発売

[写真]富士35mmフィルムFP(35mm判)

11月 映画用35mm富士デュープリケーティングネガティブフィルム 発売
ゼラチン研究製造のパイロットプラント狩野工場を設立
12月 上海出張員を廃止
富士レントゲンフィルム(間接撮影用35mm判) 発売

1941年

3月 小田原工場,陸軍監理工場に指定される
天然色バイパック乾板による天然色写真を「天然色写真と印刷の展望展」に出品

[写真]天然色写真と印刷の展望展

[写真]バイパック乾板方式によるカラー写真

4月 足柄工場・小田原工場に技能者養成所 設置
6月 小田原工場に光学硝子研究部 設置
7月 バライタ祇の製造計画を中止
9月 航空機風防ガラス用インターレアー納入
10月 今泉工場に長網抄紙機 設置
11月 練馬工場 売却(日本映画社に吸収合併)
株式会社日本化学工業所を買収し,翌12月川上工場を設立

1942年

1月 小田原工場光学ガラス工場 増設

[写真]小田原工場

玉川光機株式会社の事業を継承
2月 付属診療所 開設
5月 今泉工場,地図用紙の製造を開始

1943年

1月 映画用35mm富士デュープリケーティングポジティブフィルム 発売
2月 研究所に天然色写真研究室 建設
映画用16mm富士スーパーパンクロマティックネガティブフィルム 発売
富士ハイドロキノン 発売
3月 モノール 発売

[写真]写真現像薬品 モノール

10月 足柄工場 陸・海軍共同監理工場に指定される
11月 増資(新資本金2,500万円)
淺野修一 社長を辞任,春木榮 社長に就任

[写真]第2代社長 春木 榮

東京時計製造株式会社の事業を継承
12月 天津出張所 開設

1944年

3月 榎本光学精機製作所の事業を継承し,富士写真光機株式会社 発足
4月 軍需会社に指定される

[写真]軍需会社指定令書

6月 小田原工場精密機械製作部門を富士写真光機株式会社 大阪工場に移転
9月 富士製紙工業株式会社の土地・建物を買収し、今泉工場に円網抄紙機1機 増設
10月 新京出張員を廃止
11月 東京時計製造と玉川光機を合併し、東京時計航機株式会社 発足

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