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| 新会社発足直後、外国製品の値下げや映画界の「国産フィルムボイコット声明」によって、当社は大きな打撃を受ける。このような情勢の中で、足柄工場は操業を開始し、1934年(昭和9年)4月、映画用ポジフィルム、乾板、印画紙を初出荷する。しかし、いずれも、品質上の問題から販売は難航する。当社は、マウエルホフ博士を招へいして写真乳剤の改良に努める一方、生産を一時ストップして映画用ポジフィルムの改良に当たる。しかし、創立以来4期連続の大幅赤字で、当社は危急存亡の危機に立たされる。この時、淺野社長は、「自分は、この写真フィルム工業を生涯の事業として、あくまでやり抜く決意であるから、志を同じくする人は、自分と運命をともにされたい」と悲そうな決意を披れきする。 |
| 足柄工場、稼働を開始 |
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| フィルムベース工場 |
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| フィルム工場 |
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| 乾板工場 |
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| 印画紙工場 |
| 相次ぐアクシデント |
| 映画用ポジフィルムの初出荷 |
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| 富士陽画用フィルム (レーベル) |
| 練馬工場(富士スタジオ)の開設 |
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| 富士スタジオ(練馬工場)の全景 |
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| 富士スタジオ(練馬工場)の照明装置 |
| 乾板および印画紙の発売 |
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| 富士スタンダード乾板 (レーベル) |
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| 富士ポートレート乾板 (レーベル) |
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| A1(エーワン)乾板 (レーベル) |
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| 印画紙 富士 (レーベル) |
印画紙 利根 (レーベル) |
印画紙 富士ブロマイド (レーベル) |
| 営業・普及の活動 |
| 写真乳剤の改善とマウエルホフ博士 |
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| マウエルホフ博士 |
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| A1(エーワン)乾板実験会場 |
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| 外人社宅として建設した芙蓉荘 |
| 経営の危機 ― 淺野社長の悲そうな決意 |
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