コンパクトカメラの伸長と
35mm一眼レフヘの進出
AV市場への進出
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シングル-8の展開

 当社が1965年(昭和40年)に開発した新しいホームムービー“シングル-8”システムは、その後、機能の高度化を図り、カメラおよび映写機の新機種を順次市場に投入していく。1970年代に入り、パルスシンクシステムを開発して映像と音声の同調を図り、1970年代後半には、サウンドシステムによる同時録音へと発展する。さらに、自動焦点機構を採用したサウンドオートフォーカス機を発売する。この間、1973年(昭和48年)には、“ハイシングル-8”システムを開発し、従来撮りにくかった夜間撮影も容易にする。また、映写機では、サイレント機、サウンド機のいずれにおいても高機能化と自動化を進め、使いやすさを図っていく。

シングル−8システムの音声同調

フジカシングル−8Z800
フジカシングル−8Z800
 当社は,シングル−8システム開発以来,一貫してユーザーに小型映画の楽しさを訴え,8mmムービーの需要の開拓を図ってきた。8mm使用者の大多数は映像のみを映写して楽しんでいたが,8mmムービーの楽しさを広げてさらに需要を拡大するためには,音付きの映写を手軽に楽しめるようにする必要がある。当社は,かねてから映像と音声とを同調するシステムの開発を進め,1971年(昭和46年)12月,パルスシンクシステムによる録音同調カメラ“フジカシングル−8Z800”と光学式同時録音カメラ“フジカシングル−8ZS400”の2機種を発売した。
 パルスシンクシステムは,撮影時にフィルム1コマに対し1信号(パルス)をサウンドテープに記録し,この信号によって画面と音とを完全に同調させる新しい録音方式で,“Z800”はパルス発生器を内蔵し,レンズも多層コーティングしてフレアーレスとした“EBCフジノン”の8倍ズームを初めて装備した高級機であった。また“ZS400”は4倍ズームレンズを装備し,撮影時の音声をカメラ内で光に変換してフィルムのサウンドトラックに同時記録し,現像の際に音像化するもので,この方式は8mmシステムとしては初めて実用化に成功した。
 次いで,翌1972年(昭和47年)6月にはスタート同時録音システムを開発し,“フジカシングル−8Z700”を発売した。これは,カメラとカセットレコーダーが同時スイッチで始動するシステムで,7倍の電動ズーム機構を装備した。
 当社は,これらのシステムの開発で画面に同調して手軽に音声を入れたいというユーザーニーズに応えていった。
 映写機においても,サイレント方式の“M”シリーズでは,映写機能の多様化と自動化を進める中で,さらに,テープによる音声同調機構の向上を図ってきたが,1972年(昭和47年)7月には,パルスシンクシステムによって映写機速度を制御する“フジカスコープMX70”を発売した。これによって口の動きと音声が完全に一致する「リップシンクロ」も可能になった。
 他方,サウンド方式では,新たに高輝度ハロゲンランプを導入した“SH”シリーズを開発し,1970年(昭和45年)6月,磁気式・光学式録音兼用機の“フジカスコープSH10”を発売した。この“SH10”は,従来よりも約50%も明るい映写機として好評を博したが,引き続き1975年(昭和50年)10月には,同機にFTS並びにパルス方式の同調機能を付加した“フジカスコープサウンドSH30”を発売し,高級サウンド映写機を整備してきた。
 この間,1973年(昭和48年)12月に,サウンドオンサウンド(二重録音)機構によってバック音楽やナレーションのミキシングが簡単に楽しめ,またフィルム装てんをオート化した“フジカスコープサウンドSH7M”を発売し,音楽指向の市場に応えていった。1972年(昭和47年)4月には,明るい部屋でも8mm映写が楽しめるように,いままでの12倍の明るさをもった映写用スクリーン“富士ハイスクリーン フレームタイプ”を発売した。これらの開発で,明るい映像が音声と同調して気軽に楽しめるようになった。

ハイシングル−8システムの開発

フジカシングル−8AX100とフジクロームRT200
フジカシングル−8AX100と
フジクロームRT200
「やみ夜のカラス」のキャッチフレーズ
「やみ夜のカラス」
のキャッチフレーズ
フジカシングル−8ZC1000と交換レンズ群
フジカシングル−8ZC1000と
交換レンズ群
 カラー写真が一般化してきたことに伴って,8mmムービーでもカラーフィルムの感度アップの要望が強まってきた。
 このような要望に応えて開発したのが“フジカハイシングル−8”システムで,1973年(昭和48年)3月,カメラ“フジカシングル−8 AX100”およびカラー反転フィルム“フジクロームRT200”を同時発売した。
 “AX100”は,F1.1という明るいレンズと,230度という広いシャッター開角度の効果で,従来のF1.8レンズ付きカメラに対して6倍の明るさを実現した。また,“フジクロームRT200”は,従来の外型タイプから内型タイプに切り換え,品質の安定化とASA200の高感度を実現し,“AX100”との組み合わせで,従来の約24倍の超高感度システムを実現した。これによって,室内や夜間の撮影なども気軽にできるようになり,8mm映画の世界を拡大した。
 ハイシングル−8システムの発売に当たって,当社は「カラスの黒兵衛」をマスコットに採用し「やみ夜のカラスは写りませんが……」のキャッチフレーズで,その特長をアピールし,シングル−8の新しい市場の開拓を図った。
 次いで,翌1974年(昭和49年)4月にはパルス式音声同調機構を付加し,3倍ズーム機構を装備した“フジカシングル−8 ZX300”を発売した。さらに翌1975年(昭和50年)4月には5倍ズーム機構を装備した“ZX500”を,同年10月には3倍ズーム機構を装備した普及機“PX300”を,それぞれ発売し,ハイシングル−8シリーズの整備を図った。
 一方,この1975年(昭和50年)はシングル−8システム発売10年目の記念すべき年でもあった。そこで当社は,この発売10周年を記念して,同年2月,広範囲な分野で利用できる超高級システム8mmカメラ“フジカシングル−8ZC1000”および,パルス式音声同調機構装備の普及型映写機“フジカスコープMX50”を発売した。
 “フジカシングル−8 ZC1000”は,“EBCフジノンMAZ”のマクロ機構付き10倍ズームレンズを標準装備とし,35mm一眼レフ用の各種レンズの交換も可能とした。また,スローモーション映写用として毎秒72コマの撮影機構も付加して,医学用ファイバースコープや天体望遠鏡などによる特殊撮影にも対応できる超高級システムカメラであった。
 この“ZC1000”の発売によって,普及機から高級機までのシングル−8カメラのラインアップが完成し,多様化するユーザーニーズに応えていった。
 一方“フジカスコープMX50”は,明るいズームレンズを装備するとともに,パルス方式によるリップシンクロ映写が可能な映写機で,フィルム装てんや巻き戻しもフルオート化された普及機とした。
 そして,10周年記念事業の一環として,同1975年(昭和50年)6月から各地域別に8mmフェアを行なった。会場内では,8mmスクールやファミリー撮影会を開催し,そのほか,お楽しみコーナーなども設け,地元のカメラ店およびユーザーと当社の心のふれ合いを深めた。また,8月から「日本の秋,より撮りみ撮り」をキャッチフレーズに,全国8mm撮影ツアーと8mmスクールを開催し,多数の参加者を得て好評を博した。
 さらに,1975年(昭和50年)3月,8mm用カラー反転フィルム“フジカラーR25”を内型タイプに改め,名称も“フジクロームR25”とした。そしてこの内型化に伴い,国内・海外における現像所の増設を行ない,現像処理体制の充実を図った。次いで,翌1976年(昭和51年)12月には,映写のときに録音できるアフレコ用のフィルム“フジクローム25アフレコ”,同“RT200アフレコ”を発売し,システムのラインアップを進めるとともに,8mmムービーの楽しみの倍加を図った。

サウンドシステムの開発

フジクロームR25サウンドフィルムとRT200サウンドフィルム
フジクロームR25サウンドフィルムと
RT200サウンドフィルム
フジカシングル−8 サウンドZXM300
フジカシングル−8 サウンドZXM300
 当社は,8mm映画の映像と音声の同調化の要望に応えて,録音同調のパルスシンクシステムその他を開発してきたが,操作性の点から,より簡単な録音・再生方式の開発が強く求められた。当社は,このような要望に応えて,フィルムに磁気録音帯を塗布し,撮影と同時にカメラに内蔵した録音装置によって音も収録する“シングル−8サウンドシステム”を開発した。そして,1976年(昭和51年)4月,サウンドカメラ“フジカシングル−8サウンドAXM100”および同“ZXM300”とサウンド8mmフィルム“フジクロームR25サウンド”および同“RT200サウンド”を同時発売した。
 “AXM100”は固定焦点レンズ付きの普及機,“ZXM300”は2.7倍ズームレンズ付きの高級機で,いずれも,付属のマイクまたは別売のシューティングマイクによって,同時録音が可能な軽量コンパクト機で,名称中の“M”はMagnetic Soundを意味した。また,サウンドフィルム2種は,8mmフィルムの両サイドに磁気録音帯を塗布し,一方は録音用に,パーフォレーション側の磁気帯はバランス用とした。このため,サウンドフィルムのマガジンは,従来のものより14mmほど大きくなり,専用のサウンドカメラでなければ使用できない構造となったが,“AXM100”,“ZXM300”は,いずれも,従来のシングル−8フィルムも使用可能な構造とした。
 サウンドシステムの開発によって,カメラによる映像と音声の同時収録が可能となり,8mmムービーの世界に大きな広がりをもたらした。
 シングル−8システム発売以来の積極的な普及販売活動とフィルム,カメラ,映写機の整備によって,8mmムービーの需要は次第に増大し,1977年(昭和52年)には,8mm撮影機,映写機の世帯普及率も10%に達した。
 しかし,このころには,新しい映像システムとしてホームビデオが登場し,記録後すぐ再生できる即時性や,テレビ受像機で見ることができるなどの簡便さによって普及し始めていた。一方,8mmの分野では,サウンド化や高機能化は,高価格化をもたらし,カメラと映写機のセット価格で10万円を超えるものが多くなり,8mm需要の拡大のテンポに頭打ちの傾向が現われてきた。
 当社は,これに対して,高価格となった8mmムービーシステムをもう一度原点に戻して,家族や仲間の楽しいコミュニケーションに役立つものとなるように,新たに,カメラと映写機のセットで5万円台の“フジカシングル−8すくすくセット”(“フジカシングル−8P2”,“フジカスコープM17”)を開発し,1978年(昭和53年)9月10日に発売した。発売に際してのキャンペーンとして,第1子で同日生まれの赤ちゃんに抽せんで“フジカシングル−8P2”をプレゼントし,赤ちゃんの成長記録を撮ってもらう「すくすくキャンペーン」を展開した。
 一方,動きの多い被写体が主である8mmカメラの撮影において,期待される機能のトップは,焦点調節の自動化であった。そこで,当社は,サウンドカメラに,オートフォーカスならびにマニュアルフォーカスのほかメモリーフォーカス機構を内蔵した3倍ズームの同時録音AFカメラ“フジカシングル−8サウンド300オートフォーカス”を開発し,1978年(昭和53年)12月発売してその要望に応えた。
 このメモリーフォーカス機構は,被写体までの距離が自動的にメモリーされた後は,被写体の前面を移動する人や車などに影響されず,常に被写体にピントが合う焦点調節機構であった。
 その後,1981年(昭和56年)12月には,4倍ズーム機構の同“P400サウンドオートフォーカス”を追加し,AF機の整備を図っていった。
 映写機についても,1978年(昭和53年)7月,磁気式録音再生機(光学式再生も兼用)で,メーントラックのほかサブトラックによる追加録音再生(2トラック)可能の“フジカスコープサウンドSD12”を発売,同年12月,世界で初めて水晶発振回路を組み込んでモーターの完全な定速制御を可能とした光学式,2トラック磁気式録音再生兼用の同“SD20クオーツ”を発売した。次いで,1979年(昭和54年)12月には,磁気式録音機構に日本で初めてマイクロコンピューターを導入し,録音編集を前もって予約したプログラムによって自動的に制御するとともにステレオ再生も可能とした同“SD25ステレオクオーツコンピューター”を発売した。
フジカスコープSDオート
フジカスコープSDオート
フジカシングル−8大動楽市
フジカシングル−8大動楽市
 さらに,1980年(昭和55年)4月には,フィルムを差し込むだけで自動的にローディングされる全自動映写機“フジカスコープSDオート”,1981年(昭和56年)12月には,スクリーン内蔵のテレビ型自動映写機“フジカスコープオートビジョン”を発売し,高機能化と自動化による使いやすさを進めて,ユーザーの多様な用途に応えていった。
 当社は,これらの商品開発と併行して,動く映像の楽しさを訴えて8mmムービーの需要喚起を図ってきたが,1980年(昭和55年)11月には,多数のカメラ販売店,特約店と当社が一体となり,「フジカシングル−8大動楽市」を東京で開催した。多彩な内容の催しとともに,会場内に各カメラ販売店が独自の店舗を開き,シングル−8をはじめとするオールフジカ製品の展示即売会を行なって,業界の話題を集めた。
 8mmムービーの需要は,ここ数年来低下傾向を示しているものの,撮影の便利さ,画質が優れていること,拡大映写ができること,編集が容易であることなどによって,根強く続いている。


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