第5章 技術革新への挑戦[ 1〜16 ]

1.1980年代を迎えて
 1980年(昭和55年)1月、1980年代の幕開けを迎えて、当社は、新しいCIマークを制定し、企業イメージの一新を図って新たな出発をする。そして、“不確実性の時代”あるいは“乱気流の時代”といわれる1980年代に向かい、同年5月30日、平田社長が会長に、大西専務が社長に就任する。大西新社長は“世界の富士フイルム”、“技術の富士フイルム”を目指すことこそ当社発展の道であることを強く訴え、同年10月、全社運動“Vision-50”のキックオフ宣言を行なう。創立50周年を迎える1984年度(昭和59年度)のあるべき姿を描き、これを実現するための具体的目標を掲げた“Vision-50”は、全社的な運動として大きな高まりをみせ、目標実現に向かって力強く進んでいく。
 
2.“フォトラマ”の誕生―
フジインスタント写真システムの開発
 1981年(昭和56年)10月、当社は、インスタント写真システム“フォトラマ”を発表し、全国一斉に発売する。当社が長年にわたって開発を進めてきた“フォトラマ”は、すばらしい画質を実現し、国内外に、世界の写真業界に、大きな反響を巻き起こす。カラーフィルム製造技術と高感度オートポジ写真乳剤、ダイレリーサー、TCLなど新しい技術の結合によって生まれた“フォトラマ”は、コンベンショナル写真に勝るとも劣らない鮮やかで豊かな色の世界をつくり出す。撮影後約60秒で見事なカラー写真ができあがるというすばらしい特長によって、写真の新しい楽しみ方・新しい活用法をつくり出し、写真の世界を広げていく。
 
3.“フジカラーHR”の発売と多面的販売促進活動の展開
 1980年代に入って、アマチュア写真市場は成熟期を迎え、需要の伸びが鈍化する。こうした中で、当社は、カラー写真画質の飛躍的向上と撮影領域の拡大を図るべく、新製品の展開を進める。1983年(昭和58年)2月には、ニュータイプのカラーネガフィルム“フジカラーHR”を発売、それに合わせて、“フジカラーHR”と“フジカラーぺーパー”を組み合わせたプリントを“HRプリント”と名付けて写真の品質向上を進めていく。また、ロサンゼルスオリンピックの公式フィルムに採用され、これを機に国内外で積極的な販売キャンペーンを展開する。一方、当社のマーケティング活動の優秀性が認められ、連年、マーケティング優秀メーカー賞の入賞に輝く。
 
4.カラーラボ市場の変化への対応
 1980年代に入って、カラーラボ業界の競争も一段と厳しさを増す。当社は、小規模ラボ向けの機器開発を進め、プリンターとプロセサーを連結して一体化した“ミニラボ30”システムを商品化する。一方、大規模ラボ向けには、ラボ機器システムをさらにレベルアップし、“富士フィニッシングシステムFLEX”・“富士カラーロールプリンター12C4510”、“富士オートマチックプリンターFAP15K”をそれぞれ発売する。また、カラーラボの品質管理・生産管理の効率化および技術情報の迅速な伝達を目的として、“FUJITECOM”を開発するとともに、富士フイルムグループとして品質向上を図ることを目的に“FQC活動”を発足、具体的活動に入る。
 
5.カメラでも新機種を―
全自動カメラの発売
 良い写真を誰でも簡単に撮影できるようにと、当社は、35mmレンズシャッターカメラの自動化を追求し、1980年(昭和55年)に“フジカオート5”を、翌1981年(昭和56年)に“フジカオート7”を発売、次いで1983年(昭和58年)には、ドロップインローディング(DIL)機構付きの“フジカオートエース”、“フジカオートメイト”を発売する。また、一眼レフカメラのバヨネットマウント化を図り、“フジカAX”シリーズを発売する。一方、ポケットカメラでは、“ハローキティカメラ”や“ポケットフジカミッキーマウス”などのキャラクター商品を発売する。さらに、1983年(昭和58年)には、ディスクカメラおよびディスクフィルムを海外市場向けに発売する。
 
6.プロフェッショナル写真市場向け商品のラインアップ―
“ニューフジクローム”の発売など
 プロカメラマンの高度な要求に応えて、当社は、プロ用カラーフィルムの整備を進め、1983年(昭和58年)3月、“ニューフジクローム”を開発、デーライトタイプ3種、タングステンタイプ1種を発売し、カラーデュープフィルムの商品化とあわせて、コマーシャルフォトにおけるカメラマンのあらゆる要望に応え得るラインアップを確立する。一方、営業写真の分野では、七五三・婚礼・成人式などの既存需要の拡大に努めるとともに、新規需要の拡大に努める。また、中判カメラの分野では、アドバンスドアマチュアを含む広い需要層を対象に、セミ判スプリングカメラ2機種と6cm×17cm判パノラマカメラを新しく商品化する。
 
7.映画用カラーネガフィルムの高感度化とロングライフ商品の開発
 テレビ用フィルム“フジカラーリバーサルフィルムRT400”、同“RT500”の開発に成功した当社は、映画用カラーネガフィルムについても、高感度化にチャレンジし、1980年(昭和55年)9月、“フジカラーネガティブフィルムA250”を発売する。“A250”は、当時の映画用カラーネガフィルムとしては世界最高感度で、国内外の作品に数多く使用され、1982年(昭和57年)3月、映画界最高の栄誉である米国アカデミー科学技術賞の受賞に輝く。1983年(昭和58年)4月には、さらに画像保存性を大幅にアップしたロングライフシステム新製品“フジカラーネガティブフィルムA”、“フジカラー高感度ネガティブフィルムAX”、“フジカラーポジティブフィルムLP”を発売する。
 
8.新しいX線画像診断システム“FCR”の開発
 コンピューター処理による新しいX線画像診断システム“FCR”は、1981年(昭和56年)国際医学放射線学会で華々しくデビューする。被ばく線量を大幅に低減させるとともに、診断精度を飛躍的に高める新しい診断システムとして、内外で大きな反響を巻き起こす。当社は、期待に応えて、システムとしての完成を急ぎ、1983年(昭和58年)7月、国内販売を開始する。また、1982年(昭和57年)10月、富士エックスレイ株式会社の拡大・充実を図り、社名を富士メディカルシステム株式会社と改称するとともに、従来のX-レイ商品に加えて、“FCRシステム”など、今後の医療分野の拡大をめざしたマーケティング展開を開始する。
 
9.OA市場に向けてのシステム商品の展開
 1980年代に入り、ビジネス分野の新製品競争は、ますます激しく、当社も開発・販売体制を強化する。マイクロ写真の分野では、オフィス市場・金融市場・図面市場に対し、それぞれ、ユーザーニーズに応えたカメラプロセサー・リーダープリンター・ロータリーカメラプロセサーを整備する。また、コンピューターと連動した自動検索システム(CARシステム)・日本語COMシステム・光COMシステムやメディカルマイクロレコーディングシステムなど、次々と新システムを開発していく。情報記録紙の分野では、感圧紙の高速塗布機を建設するとともに、複合顕色剤を用いて“感圧紙”の品質向上を図り、1983年(昭和58年)には、新たに、感熱紙を発売する。
 
10.省力化、エレクトロニクス化の進展する印刷製版分野への新たな対応
 印刷製版業界で技術革新が一段と進行する中で、当社は、1979年(昭和54年)11月、明室タイプ密着用フィルム“フジリスUVコンタクトフィルム(KU)”を発売し、その後もホワイトライトシステム用フィルムの品種整備を行なう。1982年(昭和57年)には、迅速リス現像処理“Super HSLシステム”を、翌年には、明室処理専用の迅速現像処理“FSLシステム”をそれぞれ発売する。この間、明室タイプの“フォトマスクメーキングシステム”を発売し、マスク作業の大幅な合理化を実現する。さらに、PS版の高感度化を進め、“FNH”を開発する。また、1982年(昭和57年)8月、電子写真方式によるダイレクト刷版“ELPシステム”を発売し、軽印刷分野に導入する。
 
11.磁気記録材料事業の大飛躍
 当社は、急伸するビデオカセットテープ市場に対し、1982年(昭和57年)、“フジビデオカセットスーパーHG”を、また、翌1983年(昭和58年)には、同“スーパーST”を発売し好評を得る。この間、コンパクトビデオカセットテープの発売、放送局のENG・EFP化に対応した専用テープの開発も進める。オーディオテープでは、1983年(昭和58年)に、カーステレオ専用カセットテープを開発、また、コンピューター用テープの高性能化を図る。フロッピーディスク市場に対しても、本格参入を目指し、“FDシリーズ”・“MDシリーズ”を開発する。一方、生産面では、ビデオテープ専用工場を建設して、月産700万巻体制を確立、また、フロッピーディスクの生産体制も整備する。
 
12.“世界の富士フイルム”―
新しい時代に対応した海外活動の展開
 1980年代に入り、当社は、世界の富士フイルムを目指して、新CIマークのもと、従来にも増して、海外活動を活発に展開する。海外拠点を強化し、海外TECを整備する。世界各地のカラーラボ網の整備も進める。数多くの優れた新製品の導入と積極的な海外活動によって、輸出額は年々上昇し、1983年度(昭和58年度)には、輸出額1,896億円・輸出比率34.8%を記録する。1984年(昭和59年)に開催されたロサンゼルスオリンピック大会には、公式フィルムに認定され、積極的な協賛活動を展開し、会期中は、現地に「フジオリンピックラボ」を設置し好評を得る。オランダに建設を進めていた写真感光材料工場も稼動を開始し、世界の富士フイルムを目指し、さらに前進する。
 
13.新規事業分野への進出
 当社は、1980年代に入って,これまでの当社固有技術および基礎技術を駆使し、それらの技術を組み合わせて新規事業への進出を図る。一つは、血液検査システムである。写真感光材料・皮膜製品およびセパラックスの製造で培った技術を基礎に、リアルタイムの血液検査システム“富士ドライケムシステム”を開発する。また、DNA解析用の電気泳動膜の開発を進める。一方、エレクトロニクス技術の発展に伴い、ICやLSI製造のためのフォトレジスト(感光性耐しょく剤)分野への進出のため、米国フィリップエーハントケミカルコーポレーションと合弁で、富士ハントエレクトロニクステクノロジー株式会社を設立、新工場を建設し、事業展開を図る。
 
14.経営効率化の推進
 1980年(昭和55年)12月、当社は、経営戦略企画の強化と経営システムの改善効率化を一層推進するため、社長室と経営効率推進室を発足させる。1982年(昭和57年)11月には、市場構造の変化や技術革新のテンポの激しさに対応して、商品企画機能とマーケティング機能を強化するために、大幅な組織改正も実施する。また、技術革新時代に対応して、当社にふさわしいオフィスオートメーションの導入を進め、コンピューターの活用範囲もさらに充実強化し、新しいシステムを次々に完成させて、経営管理システムの向上を図っていく。こうして、当社は、新しい時代に即応したより効率的な経営を目指して着実な歩みを続けていく。
 
15.技術革新を先取りする研究開発体制―
新たな研究開発の課題
 当社は、銀塩感光材料の研究開発力をさらに高めるべく体制を強化する一方、エレクトロニックイメージングの研究および新しい商品の応用開発センターとして、1981年(昭和56年)、宮台技術開発センターを設立する。従来の中央研究所は、朝霞研究所と改め、臨床検査分野およびバイオサイエンス関連の開発研究所とする。富士宮研究所では、従来の研究に加えて、新たに非銀塩感光材料の開発に取り組む。磁気記録研究所は、新社屋を建設し、内容を一層充実強化する。そして、各工場研究部門・生産技術開発センターも含めて、全研究部門の連携によって、映像情報の記録と処理を中心とした機材の分野において、新システムや新製品を開発していくことを目指す。
 
16.創立50周年を迎える―
新たな半世紀への旅立ち
 1980年代に入り、当社は、活発な設備投資を実施し、他方、増資や転換社債の発行で資金調達も推進する。この間、新製品の導入などにより、売上高は急増、1983年度(昭和58年度)には5,450億円を記録、自己資本比率も54.6%と改善される。連結売上高も6,336億円を達成、“世界の富士フイルム”に向かって大きく成長する。そして、1984年(昭和59年)1月20目、当社は、創立50周年記念日を迎え、新たな半世紀への旅立ちの決意を新たにする。そして、“フジカラーHR1600”・“フォトラマ800システム”・“フジビデオカセットスーパーXG”など、数々の新製品を発売し、また、映画用高感度カラーネガティブフィルム(露光指数500)や“フジックス-8ビデオシステム”を発表し、新たな出発への第一歩を踏み出す。
 

表紙  ヒストリー
1919年 創立まで  1934年 FUJIFILM創立〜  1940年〜  1945年〜  1950年〜  1955年〜  1960年〜
1965年〜  1970年〜  1975年〜  1980年〜  1985年〜  1990年〜  1995年〜  2000年〜  2005年〜 2010年〜