これまでの挑戦
「画像×IT」で医療連携をカタチに―「SYNAPSE」
1981年、富士フイルムは、世界で初めて医療用X線画像をデジタル化する「FCR」の開発に成功しました。これを機に医療現場では、保存や加工がしやすいデジタル画像のメリットを生かし、あらゆる検査画像を病院内外で共有し、遠隔診断などに役立てようとする機運が高まっていきます。「FCR」で培われた画像処理技術をベースに、医療連携の進化にも貢献したい――そんな思いが原動力となり、病院内や複数病院間で検査画像を一元管理・共有し、診断目的に応じた画像処理を行う、病院向けITソリューション「SYNAPSE」は誕生しました。
海を越えて、米国で開発プロジェクトに取り組む
「SYNAPSE」の検討が開始された1990年代中頃、欧米ではすでに専用の通信ネットワークを介して検査画像を管理・共有するPACS(Picture Archiving and Communication System)が開発され、実用化されていました。
しかし、富士フイルムが構想した「SYNAPSE」は当時、新興技術として台頭してきたインターネットを基盤とする「WebベースのPACS」という特長を持っていました。ネットワークを構築しやすいインターネットを用いたPACSを実現できれば、導入のハードルを劇的に下げることができ、大病院とクリニックの間などでも検査画像が共有しやすくなり、遠隔診断などの普及を後押しできると考えたのです。
同時に、医療用画像のデジタル化が加速する中、それらのすべてを扱えるITシステムをラインアップとして持たずに、「FCR」という単体の機器だけでグローバル市場で生き残ることができるのか、という危機感も開発の大きな動機となりました。
富士フイルムは開発プロジェクトの始動にあたり、激しい議論の末に、イノベーションの実現を左右する重要な決断を下します。それは、日本のメーカーでありながら、米国で開発プロジェクトを動かす、というものでした。
関係者は決断の背景について、「米国は言わずと知れたインターネット発祥の地。通信規格やPCのOS技術などの分野でもトップを走っていました。しかも、米軍では軍病院などを対象にPACSの活用が進むなど、医療連携にも多くの先進事例を持っています。IT企業でもない富士フイルムが西海岸に開発拠点を設けることへの不安は大きかったですが、最先端の技術やノウハウ、市場ニーズを迅速につかみながら開発を進めるために腹をくくりました」と語ります。
画像に関するノウハウを武器にイノベーションを追求
米国を舞台にした開発は、スピード感のあるイノベーションに結実していきます。
1998年、米国の現地法人FUJIFILM Medical Systems, USA, Inc.(FMSU)に、異なる専門領域をバックグラウンドとするソフトウエア技術者で構成される開発チームを発足。急ピッチで「SYNAPSE」の具現化を進めていきます。
「私たちはPACS市場では後発だったからこそ、固有かつ最先端の技術であるデジタル画像処理や圧縮技術に、新興技術のインターネットやWindowsを柔軟に取り入れ、組み合わせるという斬新な発想に行き着くことができました。しかも、米国という地の利を生かして、関連技術に精通した人材を短期間でプロジェクトに迎え入れることができたのも、イノベーション実現の重要ポイントとなりました」、プロジェクトに参画した技術者は、こう振り返ります。
こうした開発姿勢が、使用環境が限定されたシステムであったPACSを、インターネットさえ接続されていれば誰でも、必要な人が必要なときに使える「SYNAPSE」へと一気に進化させる原動力となったのです。
ITソリューションに必要な“コンサル力”を高める
一方、富士フイルムは顧客との協力関係においてもイノベーションを起こしました。
「SYNAPSE」の導入を促すためには、病院ごとに異なる診療環境に応じて、最適なワークフローを提案する必要があります。また、実際の医療現場で「SYNAPSE」からどのような情報を引き出し、活用すべきか、医師に使い方をきめこまかく伝えることが欠かせません。技術のイノベーションを確実にカタチにするには、顧客との協働が欠かせないことは明らかでした。
そこで、1999年の米国での販売開始に備え、FMSUにワークフローの分析・提案、システムの設計・構築、ユーザートレーニングなど各分野のスペシャリストで構成されるコンサルティングの専門部隊を設立。現地のIT企業などからコンサルティング能力に秀でた人材を積極的にヘッドハンティングするなどして、体制を充実させていきました。
「IT分野のコンサルティング機能は、従来の富士フイルムにはなかったもの。その重要性に気づくことができたのは、医療連携が盛んな米国で開発プロジェクトを進めていたから。私たちにとっては、ものづくりと並ぶ、もう一つの大きなイノベーションになりました」と、当時を知る関係者は語ります。
「SYNAPSE」の進化はこれからも続いていく
「SYNAPSE」は、発売からわずか5年あまりで、欧米や日本を中心に1,000を超える病院で使われるようになりました。地元クリニックの診察に基づき、地域の大病院で精密検査や治療を行い、再び地元クリニックで経過観察を続ける――そんなシーンにおいて、密接な情報共有をベースとした医療連携で対応し、インフォームド・コンセントを含めた診療の質向上に貢献することで、急速な普及につながっていったのです。
今後も、人口や国土に対して病院数が少ない国々の医療環境の改善などに、大きな貢献が見込まれる「SYNAPSE」。技術者たちは、発売から15年あまりが経過した今も、類似画像の検索力を高めたラインアップの拡充に努めるなど、さらなるイノベーションに余念がありません。
初期の開発プロジェクトから関わり続ける技術者の一人は、「画像を扱うことについて、当社には大きなアドバンテージがあります。この強みを意地でも守り抜き、『SYNAPSE』の進化を追求していきたい」と決意を固めています。