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興味あるものを選んだら、自然と「家族」がテーマになった 見知らぬ者同士を家族に見立て、肖像写真を撮る。長島さんの<Family Portraits>シリーズに写し出されているものは“誰のものでもない記憶”。今回の個展のタイトルだ。 「この写真に関わる人が死んでもプリントだけ残って、誰かが偶然それを手にとったとしたら。実は被写体は初対面の他人同士なのに、見る人はこういう家族が存在したんだと信じると思う。そしてその家族の日々の暮らしなんかをいろいろと想像する。そういうのが面白いじゃないですか」 架空の家族、現実の家族。「家族」は長島さんがデビューから一貫して追い続けてきたテーマでもある。 「こだわっているというよりは、単純に興味のあるものを選んだら自然とそうなったという感じで。最終的な結論がはっきりとあって撮ることはないですね。よくわからないままで撮り始めて、撮ったあともそれが何だったのか、わかったような、やっぱりわからないような。でもだからこそ、また次を撮ろうと、こうして続いてこれたんじゃないかなって思うんです」 いろんなイメージが様々に思い浮かび、それがだんだんと互いに引き寄せ合って、ひとつの作品のもとになっていく。その作風は<White Shirts>にも表れている。この作品は、500人以上の女性がひとつのシャツに玉留めを縫いつけるという行為を通して、生まれる記憶の共有やコミュニケーションがテーマ。その着想はどこから? 「お裁縫や編物が好きなんです。縫うという行為は瞑想のようでもあります。瞬間が永遠になるという写真の性質とは対極でもあるんですね。そのふたつを合わせることができないかというのがまずひとつありました」 女性にとって、裁縫が単にそれ以上の意味を持ち続けてきたことを明らかにする歴史上のエピソードを知るうちに「縫う」というキーワードが長島さんをさらに惹き付けた。 「例えば男達の無事を祈るとか、世界中で祈りとして縫う行為が使われていました。一枚のキルトを一緒に縫うことから女性達のコミュニティーができたり、そこに作者として自分の名前を刺繍したりすることが、彼女達の社会参加の実感だったと思います。何かしたくてもできることは縫い物しかなかったというのはせつないことでもあるけれど、その謙虚さの中に逞しさも感じました。今は時代も変わったけれど、何かその裁縫に象徴されるような女性性を、今を生きる女性たちと一緒に体験してみたかったんです」 この作品は“ものごとが実感に変わった時、私たちは祈る以上に何をするのか?”という問いかけ。とてもコンセプチュアルなもので「その場が楽しいから撮るような写真とは根本的に違う」と長島さん。メッセージは作品を通して、見る側だけでなく長島さんの写真表現をも新境地へと導いたようだ。
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