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研究所の設立と天然色写真の研究

 

写真化学の分野については、世界の有力メーカーは、独自の研究所を設け、研究開発にしのぎを削っている。当社も、長い歴史を持つ海外の先進企業に追いつくために、早くから、独自の研究所の設立の必要性を痛感し、一応の経営の基礎が確立した1939年(昭和14年)、研究所を設立する。研究所は、写真乳剤の研究、天然色写真の研究、フィルムベースの研究、合成薬品の研究などに取り組む。天然色写真の研究では、モザイクスクリーン方式と、多層発色現像方式の研究を進める。そして、バイパック乾板、転染式カラー印画法、二色方式天然色写真フィルムなどを試作、来るべきカラー写真時代の基礎を築く。

研究所の設立

写真化学の分野では、世界各国とも、政府、大学には十分な研究機関がなく、海外の先進企業は、いずれも、早くから独自の研究所を設けて研究開発を進め、技術の研さんにしのぎを削っていた。

当社も、早くからその必要性を痛感してきたが、創立以来、当面の生産施設の充実に追われ、また、業績不振のために、研究所の設立まで手が回らず、感光色素のささやかな研究室と生産現場における試験室で、さしあたり必要な研究を行なっていた。

生産が軌道に乗り、業績が好転したいま、後発メーカーである当社が、長い歴史を持つ海外の先進企業に一日も早く追いつくためには、当社独自の研究陣と研究施設、すなわち総合研究所の設立が重要な課題となってきた。

[写真]藤澤 信 研究所長

藤澤 信 研究所長

[写真]研究所 1939年(昭和14年)しゅん工当時

研究所 1939年(昭和14年)しゅん工当時

1938年(昭和13年)1月、当社は、足柄工場の北側の農地を買収し、翌年3月、ここに木造平屋建の研究所の建物をしゅん工し、1939年(昭和14年)6月1日、研究所を発足させた。研究所長には、藤澤信が就任した。

研究所には、写真乳剤の研究、天然色写真の研究、フィルムベース研究の三つの部門が置かれたが、従来からあった小田原工場の合成研究室、雑司ヶ谷工場内の研究室も新発足の研究所の所管となり、相互に連携して、研究に当たった。

また、1940年(昭和15年)2月、マルチン・ビルツ博士(Dr.M.Bilz)を迎え、研究所に光学測定研究室を設けた。

研究体制の整備と併せて、海外における写真工業の動向視察と技術の吸収を目的に、1937年(昭和12年)から1939年(昭和14年)にかけて、技術者を海外に派遣し、より一層の研究の進展を目指した。

研究所は、発足後、写真乳剤の基礎研究、各種の色素・添加剤の開発などを進めてきたが、その後、太平洋戦争のぼっ発により、研究テーマは、軍用、とりわけ航空関係のテーマに集中することとなった。また、軍需上の要請に基づき、写真感光材料メーカーの技術公開も行なわれた。

天然色写真の研究始まる

1939年(昭和14年)6月、研究所の発足と同時に、天然色写真の研究に着手した。

「カラー写真」という言葉は、戦後のもので、戦前はすべて「天然色写真」と言っていた。

まず、欧米の先進メーカーの天然色写真について、その方式の検討、材料の分析、製造方法などについて研究を進めた。

[写真]モザイクスクリーン方式によるカラー写真

モザイクスクリーン方式によるカラー写真

[写真]転染印画法によるカラー写真

転染印画法によるカラー写真

[写真]バイパック乾板方式によるカラー写真

バイパック乾板方式によるカラー写真

[写真]「天然色写真と印刷の展望展」1941年(昭和16年)

「天然色写真と印刷の展望展」
1941年(昭和16年)

当時、天然色写真には種々の方式があり、当社は、1939年(昭和14年)に、モザイクスクリーン方式(赤、緑、青の3色の微細な粒子または格子状のスクリーン上にパンクロ乳剤を塗布し、スクリーン面側から撮影し、現像処理して、透過用の天然色写真とする方式)と、多層発色現像方式(フィルム上に、赤、緑、青の、それぞれの色に感じる三つの写真乳剤を重ねて塗布し、現像によって発色させる方法)の二つの方式を同時並行して研究を進めた。しかし、世界のすう勢から、結局、1940年(昭和15年)からは、多層発色現像方式に絞って研究を行なった。

当社の当時の多層発色現像方式は、発色剤の入った現像液で、撮影済みのフィルムを現像し、一層ずつ発色させて、シアン、マゼンタ、黄色の三つの画像によって構成される透明陽画にする三色方式の外型方式反転発色現像法であった。

外型方式の多層発色現像方式によって天然色写真用フィルムを製造するには、三つ以上の層を重ね合わせる多層塗布の技術と、各色層を分離させ発色させる現像処理技術の開発が必要であった。

しかし、この多層塗布と分離発色現像の技術は難しかったため、比較的容易に製造できるバイパック方式(2枚の乾板の写真乳剤面を合わせて撮影し、それを分離して発色現像し、その後再び合わせて透過光で見る天然色写真方式)の研究も同時に進め、1940年(昭和15年)秋に、まず、バイパック乾板を完成した。

この技術は、その後、天然色写真の主流となる多層発色現像方式の基礎となった。

1941年(昭和16年)3月には、四切サイズ(25.2cm×30.3cm)の大型天然色バイパック乾板を製造し、「天然色写真と印刷の展望展」に出品した。当社の天然色写真の先駆ともいうべき、この大型天然色写真は、業界に大きな反響を呼んだ。

また、別方式として、現在の印刷方式と類似する転染式カラー印画法(オリジナル原画から、分解版3枚を作り、それぞれを三原色の各染料に浸し、それを3回重ねてカラー写真を得る方式)の研究も行ない、1941年(昭和16年)に完成をみた。

この間、多層塗布技術や分離発色現像技術の研究も進み、1942年(昭和17年)に入ってからは、二色方式(可視光域を二つに分けて記録し、発色現像によって、青緑色と赤橙色の色画像として色再現を行なう方式)の天然色フィルムの現像処理の研究に着手した。

1943年(昭和18年)2月には、天然色写真研究室1棟を建て、16mmフィルムと35mmフィルムの自動現像機を据え付け、三色方式映画用天然色フィルムの現像処理の研究にも着手した。

このころ、軍から、戦地で処理できるという条件で、航空用天然色フィルムの研究を命令された。当社は、これまでの研究成果をもとに、処理の比較的簡単な外型方式の二色方式でこれに対処することにし、1944年(昭和19年)、フィルムの多層塗布、混色防止の処理技術を確立し、軍の採用するところとなった。しかし、このころから戦局は敗色濃厚となり、航空撮影テストも不可能な状態で終戦を迎えた。

また、1944年(昭和19年)には、軍用の研究として、内型方式(写真乳剤に発色剤を添加し、各層を同時に現像処理して発色する方式)のカラーネガフィルム、カラーペーパーの研究にも着手した。

来るべきカラー写真時代の基礎研究がこの時代にスタートしたといえよう。

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