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カラーラボの整備とラボ機器の開発

 

カラー写真の現像・プリント処理体制を確立するために、当社は、全国主要都市に、富士天然色写真株式会社(現株式会社フジカラーサービス)の現像所を設置するとともに、各地にフジカラーラボ網を形成して、全国的なカラー現像・プリント体制を整備していく。1965年(昭和40年)には、フジカラー販売株式会社を分離し、カラーペーパーなどの販売を通じて、当社系カラーラボの育成と強化を図る。一方、カラーラボの現像・プリント処理機器については、当初、米国パコ社の機器の輸入販売を行なうが、1966年(昭和41年)には機器部を設置して、従来からの黒白用処理機器の経験を基に、カラーラボ用機器の開発を本格的に推進し、また、富士機器工業株式会社に生産体制を整備していく。

黒白写真DP処理機器の開発

[写真]富士オートプロセサーPS

富士オートプロセサーPS

[写真]富士DPマスターR35

富士DPマスターR35

[写真]富士ロールプリンター3B350S

富士ロールプリンター3B350S

黒白写真の時代には,写真感光材料メーカーは,フィルム・印画紙・現像定着用の写真薬品を供給し,撮影したフィルムの現像や印画紙へのプリントは撮影者自身が行なうか,あるいは写真撮影者がDP店(写真材料販売店)に依頼し,DP店がこのサービスを販売する方式がとられていた。

その後,写真需要の増大に伴う現像・プリント処理量の増加,現像・プリント作業の迅速化の要請とプリント価格の低下,若年労働力不足などの要因によって,現像・プリント作業の合理化のニーズが強くなり,業界における現像・プリント処理機器への関心が強くなってきた。

DP店は,自店で効率よく現像・プリント作業ができる機器の設置を望み,また,DP店の委託を受けて,現像・プリント作業を集中して自動現像機やプリンターにより処理するラボ(現像所)も誕生した。

当時,欧米有力メーカーの機器が輸入され始めたが,わが国では欧米と比べて,比較的小規模なラボが多く,それに適した機種がそろっていなかったのが実情であった。

ちょうどそのころ,X-レイフィルムや印刷製版用リスフィルムについても,従来手作業で行なわれていた現像処理を機械化する動きが出てきていた。

当社は,このような情勢に対応し,また当社の写真感光材料の性能を最高度に発揮させるためにも,当社の黒白フィルム・黒白印画紙に最もよく適合できる現像・プリント機器を商品化することが必要と考え,その開発を進めることとした。

当社が販売した最初の写真用処理機器は,1961年(昭和36年)5月に発売した一般黒白写真用プリンター“富士DPマスターS”である。これは自動露光装置付きで,1枚ずつのシート状の印画紙にプリントする,初心者でも簡単に操作できるプリンターであった。

1963年(昭和38年)2月には,シート印画紙用自動現像機“富士オートプロセサーPS”を発売した。同年4月には,自動現像機専用印画紙として,76mm幅,120m巻のロール状のフジブロマイド紙を商品化し,同時に,このロール状の印画紙を使用する“富士DPマスターR35”,自動現像機“富士オートプロセサーPR”,“富士オートドライヤーPR”など,一連の処理機器を発売した。

これら一連の処理機器の開発によって,各種機器の組み合わせにより,ロール状の印画紙を用いる大規模ラボ用と,シート印画紙を用いる中規模以下のラボ用と,それぞれの自動現像・プリントシステムが整備され,これらを総合して“富士DPオートライン”と称した。

その後,1965年(昭和40年)10月には“富士オートプリンター”,1966年(昭和41年)3月には“富士デラックスプリンター”,1969年(昭和44年)8月には“富士ロールプリンター3B350S”と同“3B350R”,1972年(昭和47年)5月には“富士ロールプリンター3B352S”と,次々と発売し,プリンターの品種を整備していった。

これらのDP処理機器の開発は,DP店や黒白写真ラボの作業の効率化に大きく寄与するとともに,当社の黒白印画紙の販売拡大にも結びついた。

黒白写真のDP処理機器の開発・販売,そして設置後のアフターサービスと,それぞれの段階で産みの苦労を重ねたが,その努力が,当社がその後カラー写真の処理機器の分野で業界のリーダーとなる基盤を築いたのであった。

カラーラボ網の整備

カラー写真は黒白写真と比較して,現像・プリント作業が複雑で,現像薬品や現像条件についても厳密な管理が要求された。このため,戦後のカラーフィルムの発売当初,現像処理は,メーカーまたは特定の現像所に集中して行なわれたが,このことは現像・プリントされた最終的な仕上がり結果での品質を維持するためにも必要なことであった。

当社は,戦後間もなく一般用カラーフィルムを発売したときから,当社で現像する体制をとってきたが,カラーネガフィルムを発売したときに,富士天然色写真株式会社に東京現像所を設置して,現像およびプリント製作を行なってきた。その後,1960年代に入ってカラー写真の需要拡大に対応するために,1960年(昭和35年)4月に,第2番目のカラーラボとして富士天然色写真株式会社に大阪現像所を設置し,その後,名古屋・福岡・仙台・広島・札幌・山形・豊橋・京都・北九州の各都市に,順次,同社の現像所を設置した。

しかし,今後のカラー写真の普及のテンポを見通し,また,カラーフィルム・カラーぺーパーの輸入の自由化を目前に控えて,カラー製品市場での当社シェアを確保するためにも,フジカラーラボ網を全国的に整備することが焦びの課題となってきた。それには,拠点都市にある富士天然色写真株式会社の直営現像所だけではなく,各府県の主要都市にまでカラーラボを設置しなければならなかった。

このころ,将来のカラー写真の普及を見越して,自らカラーラボを業とする人びとも現われ,また,各地の写真材料販売店の間でカラーラボの経営を目指す人も少なくなかった。そこで当社は,これらの人びとの協力を得て全国的なラボ網の整備に着手し,1960年代半ばごろまでに,ほぼ全国各地にわたる当社カラーラボ網の体制づくりを完成した。

フジカラーサービス,フジカラー販売の設立

[写真]富士天然色写真株式会社 大阪現像所(開設当時)

富士天然色写真株式会社
大阪現像所(開設当時)

各地に設立されたカラーラボに対するカラーぺーパーの販売は,富士天然色写真株式会社が行なった。これは,カラーペーパーが他の写真感光材料と異なって,全く新しいユーザー(カラーラボ)を対象とするものであり,ユーザーに対して直接技術指導を必要とする商品であるので,従来の一般用写真感光材料の販売ルートと異なる販売ルートを採ったからである。すなわち,富士天然色写真株式会社は,自社でカラーフィルムの現像およびプリント業務を行なう一方,全国各地に設立されたフジカラーラボ網に対して,当社の販売代理店としてカラーペーパーおよび処理薬品を販売するとともに,その経営指導・技術指導に当たってきた。

1964年(昭和39年)10月,カラーペーパーの輸入自由化に伴い,国内外メーカーの販売攻勢も積極化し,翌1965年(昭和40年)には,新たに三菱製紙もカラーペーパー市場に参入し,販売競争はますます激しくなってきた。また,各地で,各社のカラーラボが設立されるにつれて,カラーラボ相互間の競争も激化してきた。

このような情勢のもと,当社はカラーペーパーの販売体制を強化するため,1965年(昭和40年)4月,これらの販売業務を富士天然色写真株式会社から分離して,新たに,フジカラー販売株式会社を設立した。同時に,富士天然色写真株式会社は,株式会社フジカラーサービスと改称し,当社直系の中核ラボとして,フジカラーの現像・プリント業務を専業とする会社となった。

この結果,フジカラー販売株式会社が当社の販売代理店として,カラーペーパー・処理薬品をはじめ,カラーラボで使用する現像・プリント機器などカラー関連製品を各地のカラーラボヘ販売することになった。同社は,これらのラボに対して経営指導や技術指導を行なうとともに,ラボの新増設に際しての指導・助言,代表者懇談会や経営者セミナーの開催,機関誌の発行などを行ない,各地のフジカラーラボの経営の向上と,フジカラープリントの品質向上を目指し,あわせて,当社とラボ間,あるいはラボ相互間のコミュニケーションの緊密化を図った。

カラー写真の普及当初は,写真感光材料メーカーの系列ごとにカラープリントの呼称とサイズが異なっていた。このため,ユーザーからのカラープリントの注文を受け付ける写真材料販売店での取り扱いが煩雑になり,その対策のために,また,ラボ業務の合理化のためにも,その統一が要望された。

1960年代になると,新たにFサイズ(ペーパーサイズ76mm×106mm)が市場に登場したが,その後,フジカラー販売は,76mm幅(Fサイズ)と89mm幅(Aサイズ)の中間の82.5mm幅のEサイズ(ペーパーサイズ82.5mm×117mm)を提唱,積極的にその導入を進めた。その結果,1970年ごろには,Eサイズが普及判サイズの主力サイズとなった。また,同じころ,より大きなプリントをユーザーに提供するため,2Lサイズ(ペーパーサイズ127mm×178mm)も登場した。

カラーラボ用機器の開発

[写真]富士カラーデラックスプリンターA1

富士カラーデラックスプリンターA1

[写真]カラーラボにおけるプリント作業

カラーラボにおけるプリント作業

カラーラボの体制整備には,それぞれのラボに適した処理機器を整備することが不可欠であり,現像処理機器やプリンターの開発が重要な課題となってきた。

当社が,カラープリント関連機器を最初に出荷したのは,1956年(昭和31年)のことであった。全国都道府県警察が,当社が発売を予定していたカラーネガフィルム・カラーペーパーを採用することになり,それに使用するカラープリント装置を開発し,納入したことに始まる。

このときの経験と,黒白用DP処理機器の開発以来のノウハウの蓄積などによって,1964年(昭和39年)10月,カラーペーパーの処理機器として,まず,シートサイズ用自動現像機“富士カラーオートプロセサーPSC”を,翌1965年(昭和40年)9月には,ハーフ判(18mm×24mm)から6cm×6cm判までのカラーネガフィルムから引伸しプリントができる“富士カラーエンラージャー66”を発売した。

カラーペーパーのロールサイズの処理機器としては,1967年(昭和42年)8月に,カラーペーパー用自動現像機“富士カラーロールプロセサー2”と,マガジンにカラーペーパーを挿入する以外すべて明室で操作できるカラープリンター“富士カラーデラックスプリンターA1”を開発し,発売した。

このデラックスプリンター“A1”は,主として小規模のラボを対象としたものであったが,引き続き,当社は,よりプリント能力の高い明室用プリンターの開発を企図した。ユーザーがカラープリントの注文をするときには,35mm判カラーネガフィルムの現像と同時に普及判サイズのプリントも依頼する,いわゆる同時プリントの注文が大半を占めていた。したがって,この同時プリント作業の効率化が,ラボにとって大きなニーズとなっていたので,35mm判カラーネガフィルムからの同時プリント専用プリンターを企画することにした。

そして,1970年(昭和45年)5月,小さな作業スペースで明室で操作できるコンパクトで高能率のカラープリンターの開発に成功し,“富士カラーロールプリンター3C350”の商品名で発売した。

なお,同年7月には,6cm×9cm判のカラーネガフィルムから引伸しプリントができるカラー引伸機“富士カラーエンラージャー69”を発売した。

パコ社との提携

自動現像処理機の導入は,単に人手を機械に置き換えるだけではない。品質の均一化・処理スピードの迅速化と作業能率の向上といった観点からも,自動現像機やプリンターの導入の動きは,予想以上に速いテンポで進んでいった。

この動向に対して,当社は,現像処理機やプリンターをはじめ一連の機器の開発体制の整備を進める一方で,各分野のニーズに対してタイムリーに対応を図るために,海外の機器メーカーと提携してその製品の輸入販売を企図し,1964年(昭和39年)3月,米国パコ社と輸入販売契約を締結した。

パコ社は,米国ミネソタ州ミネアポリスに本拠を置く写真自動処理機器のメーカーであり,同社との契約により,黒白用やカラー用現像・プリント機器だけでなく,X-レイフィルム用現像機“パコロールXM”,リスフィルム用自動現像機“パコロールG”をも取り扱うこととした。

なお,パコ社製品の輸入販売は,その後,当社の機器開発体制の整備に伴い,次第に縮小され,1980年代に入ってその歴史的役割を終了した。

機器開発体制の整備

[写真]富士機器工業株式会社新工場 1968年(昭和43年)

富士機器工業株式会社新工場
1968年(昭和43年)

1966年(昭和41年)7月,現像・プリント用機器開発のための研究開発部門として,機器部が発足した。写真感光材料の品質との適合性および写真感光材料の新製品の開発との連携を密にするために,足柄工場の構内に設置した。

機器部では,カラーフィルム・カラーペーパー・X-レイフィルム・製版用フィルム・PS版などの現像処理機器について,基礎研究から実用化研究までを進めるとともに,営業部門や製作部門と密接な連携を保ち,当社機器製品の商品化を推進する役割を果たしてきた。1973年(昭和48年)12月には,機器部を機器開発部と改め,開発体制を一層充実した。

また,機器製品の製作体制についても充実強化を図った。これまでは,主として富士写真光機が,カメラの生産に並行して現像・プリント機器の生産を担当していたが,新たに,富士板金工房でも機器を製作することとした。これに伴って,同社は,1967年(昭和42年),社名を富士機器工業株式会社と変更し,当社足柄工場近く,南足柄町(現南足柄市)竹松地区に新工場を建設し,1968年(昭和43年)から機器の生産を開始した。

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