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カラー市場創出のキャンペーン - 東京オリンピックと万国博

 

カラーフィルムの新製品の開発を進める一方、当社は、写真需要拡大のための施策を積極的に推進する。1964年(昭和39年)に開かれた東京オリンピックでは、国内における企業イメージの高揚と海外市場へのブランドの浸透を目的にキャンペーンを展開する。報道用写真の現像処理などで協力するとともに、大型カラープリントによる写真速報など、各種の活動を実施する。次いで、1968年(昭和43年)からは、ママさん市場の写真需要拡大を目標に、“ファミリーフォトキャンペーン”を開始し、女性層に対して写真の普及を図る。そして、1970年(昭和45年)に大阪で開かれた万国博覧会では、映画の製作や写真の展示に協力するとともに、企業イメージアップと販売促進施策を展開し、成果をあげる。

東京オリンピックで大キャンペーン

[写真]東京オリンピック開会式

東京オリンピック開会式

[写真]東京日比谷のオリンピックネオンサイン

東京日比谷のオリンピックネオンサイン

1964年(昭和39年)10月,アジア地域で初めてのオリンピックが東京で開催された。日本は経済の高度成長の中で,同年4月,IMF8条国へ移行し,OECDに加盟して,経済の国際化に加速度がついた時であった。

日本の有力企業は,この機をとらえて内外に向けて積極的な広告宣伝活動を展開した。

写真感光材料の輸入自由化が段階的に実施され,完全自由化が日程にのぼってきた状況下にある当社も,国内における企業イメージの高揚と,海外市場へのブランドの浸透とを目標に,施策を展開した。

東京日比谷の繁華街にネオンサインを設置し,昼間はその壁面を利用して,5m×5mの大型カラープリントを用いてオリンピック写真速報を行なった。

報道の媒体としても当社の各種製品が活躍した。当社は,オリンピックを目標に迅速現像処理ができる“クイックインダストリアルペーパー”を開発したが,これが写真速報用として採用され大活躍した。外国の報道関係者のために,本社社屋建設予定地である東京西麻布の地に臨時の現像所を設け,特別現像処理サービスを実施した。このほか,ビデオテープや写真判定用フィルムなど各種製品が,オリンピックの記録と報道に大きな役割を果たした。

また,当社は,ギリシャのオリンピアで採火の主役をつとめたアレカ・カッツェリ夫人(Mrs.A.Katseli)を招待し,オリンピック大会に花をそえた。

オリンピック期間中のフィルムの売れ行きは好調であった。国立競技場内では,弁当販売店の一角にもフィルム販売コーナーを特設したが,弁当を買う人が入り込めないぐらいフィルムを買い求める顧客が殺到した。

[写真]東京オリンピック写真速報

東京オリンピック写真速報

[写真]アレカ・カッツェリ夫人と小林社長

アレカ・カッツェリ夫人と
小林社長

[写真]東京オリンピック会場 スタンドのフィルム娘

東京オリンピック会場
スタンドのフィルム娘

ファミリーフォトキャンペーンの展開

[写真]ファミリーフォトキャンペーンを始めた写真材料販売店の店頭

ファミリーフォトキャンペーンを始めた
写真材料販売店の店頭

[写真]ファミリーフォトキャンペーンのポスター

ファミリーフォトキャンペーンのポスター

日本経済の高度成長に伴って,一般消費者の生活は質的にも豊かさを加えていった。余暇時間も増加し,レジャーの多様化が顕著となった。

こうした中で,変化する消費者の要求をとらえ,消費者の目をより多く写真に向けさせるためには,積極的なマーケティング活動が必要であった。

当社は,カラーフィルムの新製品開発を進める一方で,需要拡大のための広告宣伝活動やキャンペーンを積極的に展開した。1968年(昭和43年)1月,写真需要掘り起こしの第一のターゲットとして,女性,特に主婦層に的を絞り「ママの記録は世界一」,「ママ,写して」を合言葉に「ファミリーフォトキャンペーン」をスタートさせた。

女性がもっと気軽にカメラを手にするようになれば,フィルムの需要を大幅に伸ばすことができる。加えて,写真の被写体は子供が最も多いが,母親の目でとらえれば,子供の成長の記録は,より豊富に,より充実したものになり,そのアルバムは親が子に残す貴い財産となる。

こうした考えのもとに,キャンペーンは,まず,若いママにシャッターを押してもらうことに焦点を置いて,次のような三段構えの内容で展開した。

  1. 第1弾として,1968年(昭和43年)1月~3月のキャンペーン期間中に生まれる赤ちゃん全員に,カラーフィルムをプレゼントする“フジカラーお誕生プレゼント”を実施した。母親にとって最も感動的な時期をとらえて,写真撮影への動機づけを行なった。
  2. 第2弾として,3月から5月にかけて新聞・雑誌などで「ママだから写せたかわいい一瞬です」と,愛児の記録の重要性をシリーズ広告で訴求した。
  3. 第3弾として「ママの写したパパと愛児の写真募集」や「ママと子供の撮影会」などのイベントを行なって,シャッターチャンスの増大を図った。

当社の呼びかけに呼応して,専門店としての店づくりと顧客の拡大に意欲的な写真材料販売店も,それぞれ工夫をこらして独自の活動を行なった。

折しも,カメラのEE化が進み,フィルムの品質も向上し,写真が写しやすくなってきたこともあり,このファミリーフォトキャンペーンは女性層に対して写真の普及を図るのに大きな成果を収めることができた。

このキャンペーン期間終了後も,婦人雑誌の広告で「愛児の記録を……」と呼びかけるなど,ファミリーフォトの拡大を写真需要拡大の基本戦略の一つとして息長く続けていった。

EXPO'70 - 万国博キャンペーン

[写真]大阪万国博覧会会場

大阪万国博覧会会場

[写真]大阪万国博覧会松下館に展示されたタイムカプセル(毎日新聞社提供)

大阪万国博覧会松下館に展示されたタイムカプセル
(毎日新聞社提供)

1970年(昭和45年)3月から半年間,万国博覧会「EXPO'70」が「人類の進歩と調和」を基本テーマとして,大阪千里丘陵で開催された。

EXPO'70は当社にとって,当社の技術力を示し,企業のイメージアップを図るとともに写真需要の拡大と販売増を図る絶好の機会であった。そこで当社は早くからその準備にかかり,前年の1969年(昭和44年)夏には万国博準備室を設置して具体的施策の推進に当たった。

EXPO'70の展示の中心となるパビリオンでは,当社は三井グループのパビリオン“創造の楽園”に参加した。三井グループ館では,3面の11m×26mの大スクリーンと1,700個あまりのスピーカーを使って三次元の世界を体験するスペースレビュー「宇宙と創造の旅」が上映された。また,日本政府館をはじめ各パビリオンで上映される映画の製作や写真の展示にタイアップして協力した。

万博記録映画の製作にも,“フジカラーネガフィルム”や“フジカラーポジフィルム”が使用された。

また,「タイムカプセルEXPO'70」にも協力した。これは松下電器産業株式会社と毎日新聞社が企画したもので,現代の科学文明が到達した最高水準の品物を,内径1m,容量500lの球体に収納して5,000年後の人類への贈り物としたのである。この中に,当社のミニコピーフィルムによる文献複写と16mm映画用ポジフィルムによる短編映画が選ばれ,当社はその製作に協力した。

会期中,会場内は各パビリオンとも,映像と音響の洪水のごとくカラフルな写真の被写体も多く,連日訪れる大勢の見学者によって多くの写真が撮られた。当社は,会場内外をフジカラー一色で埋め尽くす計画を立て,大阪空港前にネオン塔を設置するとともに,会場周辺の写真材料販売店の店頭の飾り付けや広告に工夫をこらした。また,特約卸店や写真材料販売店の協力を得て,会場各所にフィルムの売店を設置し,どこでもフィルムを買えるようにした。

会場内では,営業写真師によって団体見学者の記念写真の撮影が行なわれたが,それには,開発間もないプロ用中判カメラ“フジカG690”が活躍した。その現像・プリント処理のために,会場周辺のフジカラーラボ網を強化して,サービスの徹底を図った。

特約卸店・カラーラボ・写真材料販売店の協力によって,会場内外はグリーン一色に塗りつぶされ,フィルムの販売でも当社は圧倒的なシェアを占めることができた。万国博覧会は,9月13日その幕を閉じたが,この万国博覧会を契機として,カラーフィルムの販売量が黒白フィルムのそれを上回り,本格的なカラー写真の時代が訪れた。

ベルマーク運動に協賛

[写真]ベルマークのPR(写真材料販売店の店頭宣伝物)

ベルマークのPR
(写真材料販売店の店頭宣伝物)

全国の幼稚園や小・中・高等学校など学校教育設備の充実を目的とした「ベルマーク運動」は,財団法人教育設備助成会によって,1960年(昭和35年)10月にスタートした。ベルマーク運動は,協賛する会社が指定の商品に何点かずつの証票(ベルマーク)を付け,学校単位で集められたベルマークの点数に見合う金額を,その学校の教育設備購入のための協賛費として,協賛会社が負担するという運動である。

当社は,教育設備助成会の呼びかけに応え,当初から協賛会社の一員として参加し,アマチュア用フィルムの包装箱にベルマークを付けてこの運動に積極的に協力してきた。

この運動は,当社にとってもフジカラー製品のブランドイメージの向上と,ベルマークを集めているファミリー層の当社製品の指名率の増加が見込めた。その後,今日まで24年余り経過したが,1984年(昭和59年)3月現在で,当社の協賛費は累計で9億5,400万円に達し,学校教育設備の充実に幾分なりとも貢献することができた。

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