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足柄工場生産体制の増強と生産技術の進展

 

写真感光材料の生産能力の増強とコストダウン実現のために、足柄工場は、生産技術の高度化研究と生産設備の増強を進める。とりわけ、カラーフィルムについては、当面の生産能力増加のための設備の増設を進める一方で、多層同時塗布技術などの新しい製造技術研究を推進する。そして、この技術研究の成果を織り込んで新工場(D号機、E号機)を建設し、生産能力を増大する。また、TACベース工場も増設する。他方、黒白部門の生産能力増強のために、事務用印画紙工場、フジリスフィルム加工工場、X-レイフィルム加工工場を建設する。加工技術の面では、35mm判フィルムの巻き込み工程の自動化研究をはじめ、各製品の加工工程の合理化・機械化も進める。

カラー工場の増設

[写真]完成当時の第3カラー工場 1962年(昭和37年)

完成当時の第3カラー工場
1962年(昭和37年)

開放経済の時代を迎えて,生産部門にとっては,生産能力の増大を図るとともに,国際競争力増強のために,生産の効率化とコストダウンの実現が最も緊急を要する課題であった。

1958年(昭和33年)に一般用カラーネガフィルムを発売した当初は,カラーフィルムの生産量はまだ少なかったが,次第に増加の傾向を示してきた。足柄工場では,1957年(昭和32年)と1958年(昭和33年)に設置した第2カラー工場の2機(A号機,B号機)の塗布機をフル稼動させたものの,早くも生産能力の不足が予測された。この対応策としてカラー工場の増設を計画し,第2カラー工場の北側に隣接して第3カラー工場(C号機)を建設し,1962年(昭和37年)2月から稼動を開始した。

この第3カラー工場の完成に伴い,カラーフィルムとカラーぺーパーの生産を,第2カラー工場と第3カラー工場に集中し,第1カラー工場は,改造して研究室として使用することにした。

フィルムの増産のためには,フィルムベースの生産能力も増大しなければならないので,PETべース工場の建設と並行してTACベースの製帯機も増設し,1962年(昭和37年)5月から稼動を開始した。この増設機には,従来の製帯機の2倍の長さの銅帯を取り付け,製膜スピードを向上し,コストダウンと生産能力の増強を図った。

1960年代後半に入ると,映画用カラーポジフィルムの輸出も実現し,国内市場におけるカラーフィルム・カラーぺーパーの需要もようやく本格化してきた。これに対して,当社は,第3カラー工場塗布機の塗布スピードを速くするなど,稼動中の各生産機の生産能力を増強して増産に対処してきたが,それでも需要増に追い付かなかった。そこで,新たに地元の協力を得て,工場の北東側に用地を求め,ここに,映画用カラーポジフィルムとカラーぺーパーの専用工場を建設する計画を立案した。

この新工場は,従来のカラーフィルムの工場より建物の規模も大きく,後述する多層同時塗布技術をはじめ,写真乳剤の製造工程や塗布済みフィルムの乾燥工程についても最新技術を採り入れた新鋭設備を装備し,1968年(昭和43年)2月,まず塗布機1機(D号機)を稼動させ,2年後の1970年(昭和45年)1月からは,さらに塗布機(E号機)を増設して生産能力を増大した。

なお,足柄工場におけるカラーフィルムの生産は,1954年(昭和29年)9月以来,カラー部で担当していたが,1964年(昭和39年)12月,カラー部を廃止して,新たに第5フイルム部と第6フイルム部を新設し,カラー製品の生産体制を一段と整備強化した。

カラーフィルム生産技術の発展

写真感光材料の品質とコストの面で国際競争力をつけるために,生産技術研究の面でも多くの研究課題があった。

この当時,足柄工場では,工場全体に適用する革新的な技術テーマの研究については,プロジェクトチーム制を採用して開発を推進してきた。これらの開発経過を通じて,生産技術に関する基礎的研究をさらに強化する必要性を痛感したので,この研究担当部門として,1963年(昭和38年)10月,新たに工学研究室を設立した。

写真乳剤製造技術面では,高感度写真乳剤の製造のために,新たに写真乳剤そのものを濃厚につくるいわゆる沈降法の技術を開発し実用化した。この方法は,写真乳剤製造の際,発生した硝酸カリなどの不要の塩を取り除くと同時に写真乳剤を濃縮するという効率のよい製造法で,次第に従来の水洗法に置き換えていった。

塗布技術に関しては,何といっても,カラーフィルムの大幅なコストダウンを実現するための技術開発が当面の最重点課題であった。カラーフィルムやカラーぺーパーの製造には,光の三原色である赤・緑・青の光を感じる層や,フィルター層・フィルム保護層・ハレーション防止層などミクロン単位のごく薄い層を何層にも重ねて塗布しなければならない。これら各層をいかに効率よく,かつ精密に塗布するかということが,その品質の安定性とコスト引き下げのための技術上の決め手となる。

[写真]最新技術を採り入れた新鋭カラー工場 1969年(昭和44年)

最新技術を採り入れた新鋭カラー工場
1969年(昭和44年)

この研究の成果として,多くの層を重ねて一度に塗布する多層同時塗布の技術が開発された。この塗布方式は極めて生産性が高いため,塗布の前後の工程も生産性を高めておかないと,工程がアンバランスになってその効果が発揮できない。関連する諸技術,すなわち,振動防止技術・除じん技術・精密連続溶解送液技術・乾燥技術・除湿技術,そしてフィルムの送り出しや巻き取りの際の接合やロールの交換技術なども,並行して開発していった。また,その製造条件を安定に保つための各種の制御技術の開発も進めた。

これらの新技術は,折から計画中のカラーフィルム新工場(D号機)の建設に織り込まれ,1968年(昭和43年),D号機の稼動とともにその成果を発揮した。なお,この多層同時塗布技術に関しては,当社独自に開発した技術を基礎として実用化したが,当時,コダック社も優れた方式を開発していたので,1967年(昭和42年)9月,同社と特許実施権許諾の契約を締結し,同社の特許も利用した。

黒白フィルム,黒白印画紙生産部門の増強

[写真]足柄工場 事務用印画紙工場 1964年(昭和39年)

足柄工場 事務用印画紙工場
1964年(昭和39年)

X-レイフィルムをはじめとする黒白フィルムや黒白印画紙も,引き続いて生産増加を求められた。塗布機をスピードアップし,生産効率をあげ,加工体制を増強して対応してきた。

印画紙の製造は,戦前からの塗布機2機で製造を行なってきたが,1955年(昭和30年)からは,旧第2フイルム部の塗布機1機を印画紙の製造に転用し,製造能力の増強を図った。

その後,クイックコピーの商品化に伴い,これら事務用印画紙を効率的に生産するため,従来の写真用印画紙と区分して,新たに事務用印画紙の生産工場の建設を計画した。

事務用印画紙の販売価格は,一般写真用の印画紙と比較して低価格のため,この工場の建設に際しては特に徹底的にコスト引き下げを追求して設計し,1964年(昭和39年)5月から第4印画紙工場として稼動を開始した。

1960年代後半に入って,X-レイフィルムのほか,製版用フジリスフィルムの販売増によって,黒白フィルムの生産能力をさらに増強することが必要になった。ここにおいて,当社は,X-レイフィルム新工場の建設を企画するとともに,それまでの期間の対応策として,第2カラー工場の塗布機のうち1機(A号機)を改造して,これを黒白フィルムの塗布に充てることとした。これは,カラーフィルム新工場(D号機,E号機)の稼動開始によって,従来のカラーフィルム工場でのカラーフィルム生産能力に,若干ゆとりが生じたことによる。A号機の改造は,1969年(昭和44年)から2次にわたって実施し,この結果,A号機は黒白フィルム塗布機に生まれ変わった。これによって,後述する富士宮工場のX-レイフィルム新工場の稼動までの黒白フィルム生産体制が整備された。

また,これに先立って,1965年(昭和40年)5月フジリスフィルムの加工工場を,翌1966年(昭和41年)8月にはX-レイフィルム加工工場を,それぞれ建設した。両加工工場とも,この機会にレイアウトを改善し,新鋭加工機械を設置し,加工能力の増強と生産の効率化を図った。

35mm判フィルム加工工程の自動化

[写真]X-レイフィルム新加工工場 1966年(昭和41年)

X-レイフィルム新加工工場
1966年(昭和41年)

[写真]フジリスフィルム加工工場の外観および加工設備の一部[写真]フジリスフィルム加工工場の外観および加工設備の一部

フジリスフィルム加工工場の外観
および加工設備の一部

[写真]35mm判フィルム全自動巻込機(最初に開発した第1号機)

35mm判フィルム全自動巻込機
(最初に開発した第1号機)

1960年代後半に入ると,一般写真用フィルムの生産は35mm判フィルムが主流となった。これに伴い,35mm判フィルムの加工技術の向上が重要な課題となってきた。

それ以前,1950年代半ばごろから,35mm判フィルムの需要が増大してきたので,これに対応するため,1957年(昭和32年)に加工工場を増設したが,このころは,どちらかといえば現場作業者の熟練した技能と人海戦術とによって増産に対応していたのが実情であった。もちろん,加工工程の機械化研究を進めていたが,当時は,そのころ生産量が多かったアマチュア用ロールフィルムの加工工程の機械化を先行して実施した。

35mm判フィルムの加工作業は,まず,写真乳剤を塗布したロール状の広幅フィルムを35mm幅に裁断し,その後,所定の規格にせん孔し,20枚撮,36枚撮などフィルムの種類に応じて所定の長さに1本ずつ切断する。それをパトローネに巻き込み,キャップをする。ここまでが暗室内の工程である。それをアルミ缶(現在はプラスチックケース)に入れ,小箱に詰めて製品として完成する。

当初は,まず,それぞれの工程の作業のうち,機械化できるところから機械化しようという考え方で,機械化計画に着手した。

この工程の中で最も人手を要し,また熟練を必要とする工程が巻き込み工程である。これは,すべて暗室内の手作業で,もっぱら女子オペレーターの作業に依存していた。この工程では,ロールフィルム加工工程で実用化した技術を基にして,巻き込み工程自動化の研究に取り組み,1960年代前半に半自動巻込機を完成させた。

1960年代半ばになって,明るい作業場でフィルムをパトローネヘ巻き込む機械を実用化することができた。すなわち,それまで巻き込み工程の個々の作業を機械化してきたものを,総合化・システム化したもので,自動巻込機の第1号機であった。

この自動巻込機は,従来,暗室作業であった切断・巻き込みの工程を,明室作業化した点で画期的なものであった。しかし,技術的に初期段階のものであり,生産スピードも遅く,稼動も不安定で,生産量の大部分はなお暗室での半自動巻込機に依存せざるを得なかった。

なお,35mm判フィルムの自動巻込機の研究で開発した巻き込み技術は,当時,当社が事業化を進めていたシングル-8フィルムやラピッドフィルムの加工技術ならびに加工設備の研究にも役立ち,これらのフィルムの商品化に大きく寄与した。

このような加工工程の機械化・自動化は,X-レイフィルムをはじめ各製品の工程についても逐次実施していった。

1960年代の10年間に,足柄工場は大きくスケールアップした。その生産数量も大きく増加した。しかも,技術革新と合理化の努力を進めた結果,この間の工場の人員の増加は最小限にとどめ,大幅な生産性の向上を実現することができた。足柄工場は,ようやく国際競争に耐え得る工場へと育ってきたのである。

[写真]足柄工場全景 1971年(昭和46年)2月

足柄工場全景 1971年(昭和46年)2月

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