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無公害企業へのチャレンジ

 

1960年代から1970年代にかけて、日本経済の高度成長に伴って、排水や排煙などへの規制が強化される。多品種かつ膨大な数の化学物質を開発し使用している当社は、その取り扱いに慎重を期し、特に、公害の防止、よりよい環境をつくり出すことを目指して、公害防止体制を強化する。単に法的規制を守るだけでなく、無公害企業を目指して工場廃水の完全無公害処理や大気汚染防止対策などを積極的に推進し、製品に有害物質が含まれることを排除し、化学物質の安全性確保システムを確立する。また、カラー現像所における廃水処理システムの確立を図るなど、製造から市場における写真処理段階まで、各分野で着実に対策を進める。

環境改善対策要綱の制定と環境改善推進体制の整備

1950年代後半から1960年代にかけて,日本経済の高度成長とわが国産業の重化学工業化が進むにつれて,そのひずみとして,大気汚染や水質汚濁の問題が深刻な社会問題となり,各企業はこの問題への対応を鋭く迫られるようになってきた。

これら環境問題に対する認識の高まりは各方面で著しく,排水規制・ばい煙排出規制など,法的規制も次第に明確化され,1967年(昭和42年)8月には公害対策基本法が制定された。この基本法に基づく各種公害規制法令は,公害防止に対する事業者の責任など公害防止の基本を定めるとともに,工場排煙や排水あるいは騒音・悪臭などについて厳しい規制基準を設け,事業者に一定期間内にその基準を達成することを義務づけた。また,都道府県など地方公共団体では,地域の実情に合わせて国の基準を上回る規制値を定め,その遵守を求めるところも現われた。

当社は,化学メーカーとして製造工程や製品に多種多様の化学物質を使用しており,その取り扱いについては慎重を期してきた。

なかでも,足柄工場では,とりわけ工場廃水の取り扱いに注意し,建設以来,工場内の全廃水を一度沈殿池にプールし,各種の処理を施してから工場外に排出するなど対策をとってきた。それでも,1958年(昭和33年)6月,有害物質が工場外に流出するという事故があり,このため,さらに工場廃水処理施設の改善と管理体制の強化を図った。

そして,その徹底のため,足柄工場では1965年(昭和40年)4月に公害防止対策委員会を設置し,公害防止関係の諸基準および手続きの制定作業を進めるとともに,1968年(昭和43年)10月には廃水対策推進チームを,翌年2月には一般公害対策推進チームを,それぞれ発足させて,公害対策の充実を目指した。また,1970年(昭和45年)10月には,工場内の対策を一元的に推進するため環境管理担当部門を新設した。

また,翌1971年(昭和46年)9月に富士宮工場に,同じく12月に小田原工場に,それぞれ環境管理担当部門を設けて,自工場の環境改善対策の立案と推進に当たることとした。

このように,当社は,当面の対策と長期的な環境保全に関する対応を工場を中心として検討してきたが,公害対策の重要性にかんがみ,これを全社的重要課題として取りあげなければならないとの認識にたって,1970年(昭和45年)9月に,社長通達をもって全社的な対策の徹底を指示した。これを具体化するため,同年11月に「全社環境改善対策要綱」を制定し,全社環境改善委員会を発足させた。また,翌1971年(昭和46年)12月には,本社に環境管理部を設置し

て環境改善対策の全社的な推進に当たることとした。

こうして,当社は,公害防止についても,単に法的規制を守るという受け身の姿勢ではなく,無公害企業を目指して前向きに取り組んでいった。

各工場の具体的対策

当社の足柄・小田原・富士宮・吉田南各工場では,それぞれ,その製品の製造工程・処理方法などについて,公害対策面からきめ細かく現状の洗い直しと対策の推進を図っていった。とりわけ廃水処理は,最も留意したところで,各工場とも活性汚泥処理設備を整備して万全を期した。

[写真]足柄工場廃水処理施設

足柄工場廃水処理施設

[写真]足柄工場錦鯉遊園

足柄工場錦鯉遊園

足柄工場では,廃水処理については早くから対策が進んでいたが,さらに対策を徹底するため,1970年(昭和45年)4月からは,活性汚泥法で有機物質を取り除いたあと,pHやCOD(化学的酸素要求量)を測定し,安全性を確認してから放流するように改めた。さらに,1973年(昭和48年)には,加圧浮上装置・砂ろ過装置・オゾン処理装置を導入し,総合廃水処理設備を完成。同時に,工場東側に調整池を増設して一般廃水および活性汚泥処理水を一時的に貯留し,そこに多数の錦鯉を放って安全性を確認したうえで構外に排出するようにした。この調整池は日本庭園風につくられ,何万尾という色とりどりの錦鯉が泳ぎ「錦鯉遊園」と名付けられて,工場見学者や従業員などの目を楽しませている。また,ボイラーの排煙対策などについても有効な対策を実施した。


[写真]小田原工場廃水処理施設

小田原工場廃水処理施設

[写真]小田原工場溶剤回収精製装置

小田原工場溶剤回収精製装置

小田原工場でも,各種の環境対策を推進した。当工場は小田原市のほぼ中心に位置し,環境問題についても,市街地に立地しているという事情から,特に,広範囲に慎重な対応が求められた。そのうえ,当工場は,当時,硝酸銀をはじめとする各種写真薬品やカプラーなど合成薬品・光学ガラス・磁気記録材料・PS版など多品種の製品を生産しており,それぞれの部門によって廃水の水質も異なるので,公害対策にしても部門ごとにその生産工程にマッチした対策を推進しなければならなかった。活性汚泥処理設備も1972年(昭和47年)から稼動を開始し,廃水対策に万全を期した。


[写真]富士宮工場廃水処理施設

富士宮工場廃水処理施設

[写真]富士宮工場排煙脱硫装置

富士宮工場排煙脱硫装置

富士宮工場でも,積極的な対策を進めた。当工場では,原紙の抄紙とバライタ紙・感圧紙・X-レイフィルムの製造を行なっており,特に抄紙工程で使用する大量の水と残しの処理ならびにボイラーの排煙などが問題であった。

富士宮工場は,1970年(昭和45年)2月,富士宮市との間に同市としては第1号の「公害防止協定」を結んだ。工場廃水については,処理施設を整備し,凝集沈殿したあと固形分を分離焼却するようにした。排煙についても,1974年(昭和49年)10月排煙脱硫装置を完成するなど,設備投資の面でも環境改善を重視し,公害防止を推進した。なお,同工場の活性汚泥処理装置も,1972年(昭和47年)から稼動している。


[写真]吉田南工場廃水公開モニター

吉田南工場廃水公開モニター

吉田南工場は,1974年(昭和49年)2月,本稼動に入ったが,取水・排水について,工場建設に際しての地域社会との約束もあり,建設当初から万全を期した対策を実施した。活性汚泥処理設備も,工場本稼働の当初から運転されている。

このようにして,当社は各工場ごとに,その地域社会に密着したきめ細かい環境対策を実施してきたが,いずれも,公害規制値をクリアーし,かつ,それよりさらに一段と厳しい社内管理値を設けて環境管理の充実・強化を図っている。

製品の無公害化とカラーラボなどのユーザー対策

写真感光材料の製造および市場における写真の処理には,数多くの薬品が用いられる関係上,それらの中には公害の原因となる可能性をもった物質も含まれており,ごく微量ながら一部の製品に使用されていたカドミウムや処理薬品中の赤血塩(鉄とシアンの化合物)といった物質の取り扱いが問題となった。

このカドミウムと赤血塩については,それらが用いられている製品や処理薬品の品質・性能を落とさずに代替品を見つけ出さなければならず,多くの困難を伴った。1972年(昭和47年)から,カドミウムについては,これを除去した新製品の出荷を開始し,逐次切り換えを進めて,これを完成させる一方,赤血塩についても代替処理薬品の切り換えを進めた。

一方,市場におけるカラーフィルムやカラー印画紙の現像処理段階でも,活性汚泥処理方式の導入による廃水の無公害対策を進め,廃液回収業者による回収処理と合わせて,廃水処理体制を確立してきた。この廃液回収業者による回収処理は,「写真廃液処理システム」として,現像所・テレビ局・新聞社・印刷会社など,それぞれに応じたシステムを開発して,ほとんどすべてのユーザー層をカバーしていった。

このほか,製品面では“感圧紙”の染料溶解オイル問題があった。当初,ノーカーボン紙染料溶解オイルにごく微量使用されていたPCBについて,その後有害性が指摘されたため,当社ではいち早く代替品の開発を進めた。そして,1971年(昭和46年)からは,PCBを一切使用しない新製品に切り換えた。また,それ以前に製造された旧製品については,すべて回収し,業界で社団法人旧ノーカーボン紙協会を設立して,無公害処理についての調査・対策を進めている。

廃棄物対策と資源の再生化

このようにして,当社の公害対策は,製造から市場における写真処理段階にまで及び,それぞれの分野で対策を講じていった。さらに,廃棄物の無公害処理化や資源の再生についても着実に対策を進めた。

全国のフジカラー系列ラボでは膨大な量の廃プラスチックケースや廃パトローネが発生するが,このうち地元で処理できないものについては,当社指定処理場でこれを受け入れて原料として再生させる「産業廃棄物回収システム」を1974年(昭和49年)から発足させた。また,映画・テレビ関係現像所,カラーラボ・マイクロラボ,X-レイ業界および印刷業界などの廃定着液から銀を回収する「銀リサイクルシステム」を1980年(昭和55年)に全国的に組織化し,貴重資源の回収体制を整えた。

化学物質の安全性確保

[写真]新素材の安全性試験

新素材の安全性試験

当社の柱となる技術の一つは,いうまでもなくファインケミカル技術であり,これまでに開発してきた化学物質はおびただしい数にのぼる。これに伴って,これらの素材である化学物質の安全性を確保することは,研究・開発,製造段階における従業員や環境に対して,また,市場の使用段階におけるユーザーに対して,メーカーとしての最も重要な責務であり,当社も,その対応策を着実に進めてきた。

1974年(昭和49年)4月化学物質審査規制法が施行され,また,1977年(昭和52年)7月の労働安全衛生法改正もあり,新規化学物質については製造前に安全性試験を実施し所管官庁に届出をすることになった。当社は,これに対応して,1974年(昭和49年)12月,素材安全性試験室を新設し,必要な安全性試験を開始した。

また,新素材の開発から商品化までの各段階において,安全性を確認し,有害物質を排除するために「化学物質新規導入確認システム」を整備定着させた。さらに,現用されている千数百種に及ぶ化学物質についてそれぞれ「化学物質障害予防データシート」を完備し,研究・製造現場における従業員の安全指標として活用している。

さらに,ユーザーに対しては,誤用その他の事故についての処置照会に即応できるよう「緊急応答体制」を整備し,ユーザーの安全確保への努力を続けている。

有機溶剤健康障害予防システム

有機溶剤使用職場での従業員の安全衛生対策については,当社は法規基準以上の安全対策を講じている。特に,有機溶剤の低濃度長期間ばく露による健康障害の予防については,使用している全有機溶剤について,より実態に即した自主的予防対策として「作業環境測定」を行ない,その結果を分析して,問題があれば作業環境を改善するための施策を講じた。さらに,1983年(昭和58年)から「健康診断」「個人の作業履歴」を長期にわたって積み重ね,三者を総合的に考察して対策をとってゆくシステムを実施している。

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