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マイクロ写真システム市場の拡大

 

1960年代後半から70年代にかけて、マイクロ写真システムは、文書や図面情報の記録保存を主とする利用方法からオフィス分野をはじめ、金融、官公庁、医療などの各分野で情報処理機能を重視した活用の時代に入る。当社は、このような時代の要請に応えて、営業活動を強化し、新製品の開発を推進する。そして、オフィス市場では、“マイクルシステム”の開発、また、コンピューターアウトプット市場に対し“COMシステム”、金融市場向けに“ロータリーカメラシステム”、情報検索システムとして“SMARCシステム”・“FIRシステム”を相次いで開発し、マイクロ写真システム市場の拡大を図っていく。

オフィス市場へ- “マイクルシステム”の開発

1970年代に入って,コンピューターの普及や通信機器の発達によって情報化社会が進むにつれ,情報の収集・保管・検索・伝達などが大きな問題となってきた。それに伴って,マイクロフィルムのもつそれらの機能が見直され,各種の利用方法が登場してきた。当社は,このような中にあって,これまで進めてきたマイクロ写真システム関連機材の研究・生産体制をより一層拡充するとともに,1971年(昭和46年)12月,従来,産業材料部の中にあったマイクロ写真システム関連部門を独立させて,マイクロシステム部とし,営業活動の強化を図った。

[写真]マイクル1200

マイクル1200

[写真]マイクル1200の広告

マイクル1200の広告

[写真]ミニコピーフィルムHRII

ミニコピーフィルムHRII

商品開発面では,まず,オフィス分野へのマイクロ写真システムの普及を図った。オフィス市場では,膨大な情報の保管スペースの縮小とその有効活用のためマイクロ写真システムを採用するところが増えてきたが,取り扱いが面倒なことがその普及の障害となっていた。そこで当社は,複写機なみにだれでも気軽に扱えるカメラプロセサーの開発を進め,1976年(昭和51年)2月,“マイクル1200”を発売した。

“マイクル”とは,Microfilm Instant Copier for Ladies and Executives の頭文字「MICLE」をとって命名したもので,複写機と同様,ボタンを押せばワンタッチでマイクロ写真化できる世界で初めてのマイクロ複写機で,誰にでも簡単に利用できる画期的なカメラプロセサーであった。

当社は,“マイクル1200”を1975年(昭和50年)11月に開催された「マイクロシステムショー '75」に発売に先立って出品したのをはじめ,各地で展示発表会を開催し普及を図った。また,事務機文房具販売業者やマイクロ写真サービス業者など,全国に販売・アフターサービス店を設け,販売・サービス体制を整備して,その普及を積極的に推進した。

その後,1977年(昭和52年)4月,A3判の図面・資料のマイクロ写真化に適した“マイクル1201”,コンピューターアウトプットペーパーのマイクロ写真化に適応させた“マイクル1202”,金融市場での手形・小切手の表裏同時撮影をする“マイクル1203”,ロール方式のマイクロ写真化も可能な“マイクル1204”のシリーズを完成して,それぞれ用途に適した機器を整備した。

さらに,1978年(昭和53年)5月には,マイクロフィルムからハイスピードで鮮明なコピーが得られるリーダープリンター“FX950”を発売し,マイクロ写真情報を普通紙に再現するなど幅広いアプリケーションを可能とした。これによって,マイクルシリーズとの組み合わせによるシステム効果を図り,オフィスにおける文書のマイクロ写真化からアウトプットまで一貫したシステムを完成した。

一方,マイクロ写真システムの発展に伴い,マイクロフィルムの画質に対する要求も高まってきた。当社は,これに対応する改良研究も続け,1975年(昭和50年)4月に“ミニコピーフィルムHRII”を発売した。同フィルムは,解像力と鮮鋭度の優れた超微粒子フィルムで,大型図面や地図,書籍や新聞など縮小率の高い撮影に威力を発揮し,また,高温処理でも高品質の画像が得られるよう設計し,解像力は世界一流レベルを達成した。これによって,図面・金融分野での用途が拡大した。

なお,“マイクル1200”は,1976年(昭和51年)からヨーロッパを中心として,海外市場へも輸出を開始した。

ロータリーカメラ開発による金融市場戦略

[写真]ミニコピーカメラR1

ミニコピーカメラR1

[写真]銀行業務で活用されているSR-1000

銀行業務で活用されているSR-1000

[写真]16mmロールフィルム専用リーダーFMR160

16mmロールフィルム専用リーダーFMR160

業界の動きの活発化に伴って,手形や小切手などの転記作業の省力化と記録保存のために,銀行や証券会社などでマイクロフィルムが広く利用されてきた。当社は,金融部門でのマイクロ写真システム市場に本格的に参入するために,高速で撮影できる16mmロータリーカメラの開発に取り組み,1972年(昭和47年)4月“ミニコピーカメラR1”を,1978年(昭和53年)10月“ミニコピーカメラR2”を,それぞれ発売した。そして,翌1979年(昭和54年)3月には“ミニコピーカメラプロセサーSR1000”を発売した。これは,撮影から現像まで完全自動処理の高速輪転式カメラプロセサーで,これによって金融市場への積極的なマーケティング戦略を展開し,同市場での当社の地位を不動のものとした。

その後,1980年(昭和55年)11月には16mmロールフィルム専用リーダー“ミニコピーリーダーFMR160”を製品化し,システム商品として整備した。

そのほか,金融市場に対しては,1975年(昭和50年)3月に高感度タイプの“ミニコピーフィルムHS”の国内販売を開始した。また,1980年(昭和55年)7月には金融関係の防犯監視システム用に“富士サーベランスフィルム400”を製品化した。

マイクロ写真ラボ用機材の充実

[写真]マイクロラボにおけるマイクロフィッシュの撮影

マイクロラボにおけるマイクロフィッシュの撮影

マイクロ写真システムは,当初,図書館や金融機関で用いられはじめ,順次,オフィス分野へと広がっていったが,マイクロ写真システムの普及の中核をなしたのはマイクロフィルムヘの記録撮影を業務とするマイクロ写真サービスラボであった。その先駆けとなったのは,1951年(昭和26年)読売新聞のマイクロ写真化を実施した株式会社太洋写真工芸社(現日本マイクロ写真株式会社)であった。当社は1951年(昭和26年)に“ミニコピーフィルム”を発売して以来,マイクロ写真ラボを主要ユーザーとして,ミニコピーフィルムや複写用引伸フィルム,印画紙などの写真感光材料を販売してきたが,マイクロ写真の普及に伴って,マイクロ写真ラボの数も急増し,1983年(昭和58年)には全国で約400社を数えるに至った。それらのラボは,官庁・企業を主たる顧客として,図面・文書のマイクロ写真化,文献・雑誌のマイクロ写真出版などを行なっていたが,病院の保存用のX-レイフィルムやカルテのマイクロ写真化などを専門に行なう専門ラボも設立された。

マイクロ写真ラボは,マイクロカメラとプロセサー,そして引伸機の主要ユーザーであり,複写用フィルム・印画紙・薬品などの大きなマーケット分野であるとともに,また,エンドユーザーへの機材の販売ルートにもなった。当社は,撮影用カメラなどマイクロ写真ラボ用機材の開発・供給を進めてきたが,1970年代に入って,さらに高性能・高品質の機材を開発していった。

1972年(昭和47年)2月には,解像力を向上し,自動測光機構や縮率のオートストップ機構を採用して品質と操作性を大幅に向上した大型カメラ“ミニコピーカメラL3”を,翌1973年(昭和48年)3月には,マイクロフィルム30.5mをわずか10分で処理できる“ミニコピーオートプロセサーAP4”を,そして1975年(昭和50年)3月には,“ミニコピーフィッシュカメラプロセサーS105B”をグレードアップした“S105C”を,それぞれ発売した。これら機材は欧州地域にも輸出し,海外市場の拡大に貢献した。

1976年(昭和51年)8月には,フジグラフフィルムの90秒処理が可能な高温迅速処理タイプの“フジグラフフィルムラピッドプロセサーFRP42”を発売し,マイクロ写真ラボの作業性の向上に大きく貢献した。

[写真]ミニコピーカメラL3

ミニコピーカメラL3

[写真]ミニコピーオートプロセサーAP4

ミニコピーオートプロセサーAP4

[写真]EC本部で活躍するミニコピーフィッシュカメラプロセサーS105C

EC本部で活躍する
ミニコピーフィッシュカメラプロセサーS105C

COMシステムの商品化

エレクトロニクス技術の発展に伴って,コンピューター処理の高速化技術が進んできたが,アウトプットデータを紙に印字する出力装置のスピード不足がコンピューター処理の高速化のネックになってきた。コンピューターで処理され,アウトプットされる大量のデータをマイクロ写真化するには,一度紙にプリントされたものをマイクロフィルムに撮影しなければならなかった。

しかし,それを簡略化し,磁気テープに収められたデータを直接マイクロフィルムに記録するシステムとして,COMシステム(Computer Output Microfilm System )が開発され,1960年代後半には,日本でも欧米のCOM装置が輸入され,使用されはじめた。COMシステムは電気的スピードでの表示技術と光学的に記録する技術・媒体との組み合わせで生まれてきたのであった。

総合映像情報機材メーカーを目指す当社は,ビジネスインフォメーションシステム分野の一環として,コンピューターアウトプット市場に早急に進出することを目的としてCOMシステムの国産化を目指した。そして,1972年(昭和47年),COMカメラと周辺機器の開発に着手し,1972年(昭和47年)11月,フジコムフィルムの商品化の完成と相まって,1974年(昭和49年)10月,COMシステム“COM4000”を完成し販売を開始した。

この基本システムは,コンピューターアウトプットの磁気テープから16mmCOMフィルムに情報を記録する装置“COM4000レコーダー”と16mm長尺ロールフィルム専用の自動現像機“オートプロセサーAP216”,16mm長尺ロールフィルムからマイクロフィッシュフィルムヘの変換機“FRSC2400コンバーター”で構成されていた。

次いで,1978年(昭和53年)2月には,高画質の“フジコムフィルムSE”を発売した。これは,解像力を従来のCOMフィルムの2倍に向上させた鮮鋭度の優れた超微粒子フィルムで,当時主に米国から輸入されていた記録密度の高い新しい世代の装置にも対応でき,利用範囲を拡大していった。

一方,COM利用の実態をさらに追求し,簡単なオペレーションで多様なニーズに即応できるCOMシステムとして,1978年(昭和53年)10月,COM4000システムをグレードアップした“FUJI COM SYSTEM FUJI FILM5000”を発売した。これは,COMカメラ自体の性能をアップし,高縮率化・高速化を図ると同時に,コンピューター制御の自動現像機を内蔵させたもので,105mm幅のロール状のCOMフィルムから自動的に,はがき大(105mm×148mm)のフィッシュフィルムになって自動現像機から出てくるなどの特長をもたせていた。

[写真]FUJI COM SYSTEM FUJI FILM 5000M

FUJI COM SYSTEM
FUJI FILM 5000M

さらに,1979年(昭和54年)3月,COM編集ミニコンピューターを搭載した“FUJI COM SYSTEM FUJI FILM 5000M”を発売し,各地の計算センターやCOMフィルムの作成受託を行なうサービスラボに納入した。

そのほか,金融機関にも相次いで採用されていった。

また,COMシステムの中核となるソフトウエアについてもさらに充実を図り,1974年(昭和49年)から1977年(昭和52年)にかけて,“COMPAC(コムパック)”,“MARCOM(マーコム)”,“COMPIT(コムピット)”,“COMETS(コメッツ)”,“M-COMETS(エムコメッツ)”など,それぞれのCOMシステムについてのソフトウエアを完成し販売していった。

超マイクロ写真情報検索システム“スマーク”の開発

1970年(昭和45年)11月に開催された第8回マイクロシステムショーにおいて,当社は超マイクロリーダー“スマークT-4”を展示発表し,来場者に大きな反響を巻き起こした。“スマーク”の名称は,Super Micro Automatic Reader & Computerの頭文字「SMARC」をとって命名したものである。

スマークは,写真の記録密度の超高密度化を追求した超高解像力乾板と,これにコンピューターを結びつけた高速自動検索システムである。すなわち,記憶容量を飛躍的に増加させた超マイクロ乾板を使用,はがき大のマイクロフィッシュの中に100分の1に縮小された1,600コマのイメージを収め,高解像力の光学系によってイメージを投影するシステムである。

SMARCシステムは,各種情報の記録および検索用に開発したものであったが,その特長を生かして,消防局やガス会社の救急指令のための地図検索システムや警視庁通信指令室(110番指令室)の緊急情報現示システムなど,各種の利用方法を開発した。

[写真]横浜市消防局に採用されたスマークシステム

横浜市消防局に採用された
スマークシステム

SMARCシステムを初めて地図検索用に採り入れたのは1974年(昭和49年)のことで,この年12月警視庁通信指令室に採用され,次いで,翌1975年(昭和50年)11月には横浜市消防局に採り入れられた。

また,1978年(昭和53年)2月には,緊急情報現示システムに指示者用小型卓上タイプ“SMARC F100”を,同年3月には,完全自動型指令台タイプ“SMARC F100C”を追加発売してシステムの充実を図った。これらのSMARC100シリーズは,表示画面の9倍の範囲を連続微動することができ,操作性に優れたコンパクトタイプで,各地の消防署・警察署で活用された。

1980年(昭和55年)10月,警視庁新庁舎の完成に伴い,最新鋭のSMARCシステムが配置され稼動開始した。これは東京23区の地図を収容したもので,110番の通報受信から警察署・パトカーなどへの指令業務を正確・迅速に行ない,レスポンスタイム(110番受信からパトカーや警察官を現場に派遣するまでの時間)の大幅な短縮に役立っている。

このほか,SMARCの応用として定期券発行機を開発し,1975年(昭和50年)9月,北大阪急行電鉄の千里中央駅に納入した。これは,駅名・券種・有効年月日など1,600コマを超マイクロフィッシュ乾板に収め,利用者が記入した申込みカードをインプットすれば,地紋印刷したクイックコピーぺーパーに必要事項が印刷されて自動的に定期券が作成されるシステムで,定期券の発行業務の能率を大幅に向上させた。

自動検索システム“FIRシステム”の開発

テマイクロフィルムの自動検索装置の初期のものは,必要な情報がどのコマに収められているかを前もって作成した索引簿から拾い出し,その番号をキーインするタイプのものであり,当社では,1972年(昭和47年)4月ロールタイプのリーダープリンター“Q4AN”を,次いで1973年(昭和48年)3月にはフィッシュタイプの“QFA1-A”を,翌1974年(昭和49年)10月にロールタイプの“Q4BN”を,それぞれ開発した。

しかし,このシステムでは,一つのキーワードに対して該当する情報を含むマイクロフィルムのコマ数が多数存在する場合,繰り返しながら全コマを観察しなければならず,必要情報に到達するまでに時間がかかるという難点を有していた。

[写真]マイクロフィルム自動検索システム FIRシステム7

マイクロフィルム自動検索システム
FIRシステム7

そこで当社は,マイクロフィルムに収められた情報のうち必要なものを迅速に取り出す自動検索システム(FIRシステム)の開発を進め,1976年(昭和51年)7月,自動検索装置“FIRシステム7”を発売し宇宙開発事業団に納入した。

FIRシステムの大きな特長は,コンピューターとマイクロイメージファイルの間にターミナルディスプレイ(ブラウン管式表示装置)を介在させたことで,より正確な情報を検索することのできるいわば第3世代のマイクロフィルムの自動検索装置であった。

さらに,“FIRシステム7”の発展型として,1982年(昭和57年)5月,“FIRシステム9”を開発,新聞社・図書館・一般企業の人事部門や特許部門などから数多くの引き合いが寄せられ,当社は,それぞれの使用目的に合ったソフトウエアの開発を進め,その普及を図っていった。

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